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第15話 悠々自適
(ゆうゆうじてき)
…4月も末に迫った、最終の火曜日。昼時の札幌駅前は、群青の空に仕切りを入れるかのごとく薄雲がかかってい
た。その下で、昼休みの会社員・学生等が昼食の場を求め歩く姿が見える。先月ならびに今月現れた非実力派の蹂 躙は何処吹く風―――否、早くも風化は始まっていよう。別段、これといった怯えを誰一人見せず歩いている。
その総和をもって、札幌駅前は平素の安寧秩序が保たれていた。ひとときを謳歌するかのように鳩の群れが、駅前
のビル群の中でもとりわけ高層の直結タワービルを横切っていく。風に煽られつつも、旋回してそれとなく鳩が覗いた ビル内の一室は次のようであった。
「…以上、ご報告申し上げます」
「どうも、ご苦労さん」
…やっぱり、この人達何処かで見たような気がするんだけど。昔のお札に載ってそうな偉そうな髭の人(?)を真ん
中にして、左右に部下っぽい人が1人ずつ座っていた。右に座ってる蜘蛛みたいな人(??)は見たことはなくて、偉 そうな人と左の人は…あれ、誰だっけ?私の受けてるクラスが違うから、やっぱり知らないのかもしれないし。
この部屋も、何処かで見たような気がするし。…たぶん、関係者以外は入れない部屋なんだよね。たまたまドアが
開いたりなんかして、外からちらっと見たことがある部屋だと思う。
「まあ、あれは回収されたようだが良しとしようではないか。喋る素振りは、恐らくだが見せんだろうよ」
「もっとも、術中に嵌らずとも口を割りなどしないでしょうがね」
確かに、って左の人も頷いた。
「しかし、そこまで互角の質が上がれば…我々も形無しですな。はは、参りましたよ」
「ほう、町田氏らしくもない。もしや恐れでもなしたのでは」
「もはや互角でない我々など、彼等や市民からしてみれば笑い者なもんでしてね。相変わらず貧乏籤ばかり引く私
に辟易しておりますわ」
「ふふ、町田君。忘れてはいかんよ。今は歯痒かろうが、最後に哂うのは我々と―――」
「でしたな」
声を押し殺して笑ってるふたりに耳を傾けながら、左の人は掛け時計をちらっと眺めていた。あと2分で、1時になる
頃だった。
「では、これにて失礼。講義がございますので」
「ああ、頼んだよ」
「大変ですな、そちらも」
ふたりに頭を下げて、左の人は部屋を出て行った。…本当に誰なのか、よく覚えてない。
…市内の都心に近い、ある古びた邸宅の一室。築30年以上が経過したと思われる、屋根の傾斜が極端に急な造
りが当時の流行を醸し出していた。
小さく開けた窓から吹き込む風が、カーテンをさわりとなびかせている。カーテンに遮られ、肩の高さに吹く風は一
人の男を撫でていた。
「…閉めてもいいかい、母さん。寒くてね。開けるには尚早だったかもしれないな」
せめて草木の香りを愉しんでもらいたかったが、と付け加え惜しみつつも窓を閉めた岡部氏であった。外気を遮断す
ると、何かの循環する小さな音のみが個室を取り巻く。
「…すまない、いつも独りきりにして。俺も父さんもなかなか手が離せず、寂しい想いをさせているかと思うと」
ベッドの掛け布団から覗く右手に、抱きしめるかのごとく自身の手を岡部氏は重ねる。覗く右手は、一切微動だに
することはなく。
…安らかな寝顔を浮かべる岡部氏の母。すう、はあ、という寝息があたかも遅れた秒針の代わりのようであろうか。
心拍計等が取り付けられていることから、恐らく遷遅性意識障害(植物状態)であるものと思われる。
「…ん、父さんも来たみたいだ。揃うのは久しぶりか」
ノックが遠慮がちに行われ、岡部社長がドアを開き入室したのだった。4月下旬とはいえ、腕を捲るその姿は一見す
ると時期尚早に感ぜられようが。
「大知に餌をあげてきたのか、父さん」
「ああ。危うく番を忘れる所だったが」
父子が眺む窓の外に、一羽の鷹が枝から飛び立ち旋回を始める光景が在った。あたかも風との逢い引きを満喫す
るかのごとく、空を舞う。大知とは、鷹に付けた名であるようだ。
「惣一郎、母さんの容態は」
と、展望もそこそこに岡部氏に向き直る社長であった。
「…はは、訊くほどのことか。見ての通りさ、今日の昼下がりも」
思わず失笑する岡部氏に釣られ、社長も口許に安堵の笑みを浮かべる。
「うむ、久々に午後の団欒なもので笑いを隠せないか」
…とは口にしたものの、顔には笑みを浮かべておらず。寧ろ、顰める眉に艱難辛苦が垣間見えたであろうか。岡部
氏も、察しざるを得なかったようであった。
「別に、この暮らしを嘆いてなどいないよ。この笑顔に僅かでも救われているのだから」
「…そうか、惣一郎。医療費がどうのなど、またも嘆きを先延ばしにされてしまったな」
それも現実であるが、これも現実であると付け加えた社長であった。父子が仕事へ戻るには、必然と時間を要する
であろうか。…午後の陽が、家族の肖像を描いていた。
…近くに、源泉と似たせせらぎが聴こえるであろうか。そちらよりも寧ろ源泉のせせらぎが勝る、自宅の近所に所在
するとある公園にて。目を瞑れば、ただただその音は外耳から内耳へと注ぎ込まれようか。
園内の足湯にて、外套を羽織り睦まじく寄り添うふたりの姿があった。互いに裾を捲り、湯煙立つ湯に足を浸してい
る。
「はは、暫しの間でも入ればいいものを。若造ふたり、気を遣いおったか」
「流石に睦言聞かれるのが、恥ずかしいんでないの」
と言葉を交わしあい、はははと鷹揚に笑う祖父と由衣の祖母であった。巌の笑みと、細石の笑みが自然とふたりの
風格を魅せていた。
此処で本日の経緯を、自身が代わり説明すると。由衣の祖母は城氏の車に連れられ、夕刻に戻るまではこちらで
過ごすということである。一方、城氏は夕刻まで樋浦と共にドライブを満喫するのだそうだ。
「2年かそこらぶりだったっけね、あんたとこうして会うの」
「…うむ、おそらくな。家内が生きておった頃には、随分と気を遣わせたが」
「…今となっちゃ、片方ずつ逝ってあたしらだけになったけども」
うむ、と頷く祖父であった。横風が、自然と必然を伴いふたりを近々しく詰める。浸る祖父の右足と、由衣の祖母の
左足とが図らずも触れ合う。温かさとぬくさとの峻別をせずとも、人と判る温もりが血潮に流れたであろうか。
「万歳ってあんたが飛んでったきり、帰ってこないと思ったっけ」
「やれやれ、国がせっかちなせいでわしもお前も逸してしまったか。…しかし、昔は昔」
「…はは、参ったね」
必然は、双方の手と手を重ね合う示唆をも有していたようであった。それまで嗄れ枯渇した互いの声に、重ねた手
から潤いの源泉を湧出させたであろうか。他者がいるならば、十数年は若返った声と認めよう。
「まあ、必ずしも良いことばかりでも悪いことばかりでもなかったし。由衣と蛍ちゃんが遊びに来るだけでも賑やかで
いいんだわ、あたしはね」
「息子と陽子さん、孫の元気な顔が拝めるだけでも。わしも幸せ者だが」
と言葉を交わしあい、はははと再度鷹揚に笑う祖父と由衣の祖母であった。
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