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数もなし
…………。砂丘に、見えないわけでもないように見える。…うーん、それとも旱魃(かんばつ)のあった荒地かな?
横から見れば見るほど、涸れ川にも見えるし…ひび割れた土にも見える。もっとも、厳密に言えば水は枯れてはいな いんだけどね。土にしろ砂にしろ、ちょっと湿り気があるもの。
「うーん…」
…やっぱり、見えないなあ。どうにか砂丘か荒地には見えるのに、それを作っている一つひとつが見えない。見下ろ
しても覗き込んでも、一つひとつがどうしても見えない。
「うーん……」
「……うーん、じゃないわよもうっ………」
「…あっ」
…………。いけない、隣で寝てたのに。布団をぴったりくっつけていつも寝ているんだから、こうして唸るんじゃ輝も
眠れないものね。ふぁと欠伸をしながら、寝ぼけ眼でじいっと僕を照らしているみたいで。リスもカラスも、まだいびきを かいていることに僕は気付かなかった。あーあ…日の出より先に、僕たちだけ朝を迎えちゃったね。
「…ご、ごめんっ輝」
両手を合わせて、手と一緒に心の中でごめんごめんと輪唱する僕だった。砂丘か荒地しか見ていなかった僕の目
に、ぷうとむくれた輝がようやく見える。…ほんの少し崩れた寝巻きがちょっと怖くて、むくれた頬を見つめるしかなか った。
…こうして一緒に寝ているのに、僕の頭と目は心の思い込みで僕たちの家から出掛けていた。家にいるにも拘らず
目の前に砂丘や荒地が見えてたんだ、なんて言うと不思議に思われるのかもしれない。それとも…おめでたい頭 ね、なんて言われるのかなあ。
「…どうしたの、聖?…私より眠たそうな顔してるじゃない」
「あ、うん」
………やっぱり、僕は眠れていなかったらしい。輝が眠ってからも僕は、うつろになりながらも見ようと懸命だったん
だ。見えそうで見えないもの。砂丘や荒地はただの例えで、僕が見ていたものは……
「…僕、を見てたんだけど……それでずっと眠れなかったんだね」
「……?もうっ、朝から禅問答に付き合わせないの」
…あははは。確かに、輝の言う通りだよね。それだけじゃ漠然としているから。
「僕の掌を、ずっと見てたんだ。…あ、違う違うっ。見てたんじゃなくて、掌の数を数えてたんだ」
「…二つでしょ。おやすみ」
……あーあ、どうして舌足らずになっちゃうんだろう。布団をかけ直し、僕のほうを向いたまま輝は目を閉じた。難しく
ないことを言ってるようで、実は小難しく言ってるなあって僕も思ってたんだけど。………うーん………あ、また唸ると 輝の安眠妨害になっちゃ…………
「…駄目ね、一度起こされると眠れないわ」
…目を瞑ったまま、輝は頬を心持ちぷうと膨らませていた。……あーあ。僕が起こしちゃった責任、思ったより重か
ったかなあ…うーん………
「……しょうがないから、聞くだけ聞いてもいいわよ。考えてるうちに眠たくなって眠れれば、子守唄の代わりになる
でしょ」
「…えっ?………あはは、ありがとう。ごめん、輝」
嬉しいやら悲しいやらのどっちかなって聞かれれば、先のほうだと僕は思う。照れ隠しに頭をぽりぽりと掻いた僕の
姿は、瞑った輝には見えなかった。…今度こそ、うまく話せるといいけど。訳もなく掌の数を数えていたわけじゃない んだから、なんとか話せるはず。
「…僕の掌のね、細胞の数を数えてたんだ。数え切れないほどの数の細胞で僕たちは出来てるって、大五郎さん
が言ってたでしょ」
「…はいはい、確かに奇天烈な人がいたわね。こないだ緋村さんの所に遊びに行った時でしょ。細胞がどうのこうの
って」
…あはは、奇天烈かあ。みんなは不思議そうに見ていたかもしれないけど、少なくとも僕と弥彦くんは大五郎さんの
お話を真剣に聞いていた。あやめの葉の細胞もその時に見せてもらって、中にもまた色々なものがあることを知った。
小さな細胞の中に核や小胞体など、僕たちが生きていくには欠かせないものばかりなんだって、大五郎さんがお話
していたのを覚えている。輝やみんなを見る目、輝やみんなの声を聞く耳なども全部細胞で出来ているんだって。小 さなその世界を覗いてから…当たり前に思っていることが幸せなんだなあ、と当たり前のありがたみをひしひしと感じ ていた。
「…で、細胞の数を全部知って何かいいことあるの?」
…待ってました。僕がいちばん話したいことでもあるし、いちばん聞いてほしいこと。当たり前のありがたみを、輝に
話したい。
「…うん。僕は何個の細胞で出来ているかを知って、僕が生きていることのありがたみを知りたいなあって。細胞の
中にあるものや、細胞自体が協力し合って僕が生きていることを知りたくって。……生きていることは当たり前と思う 前に、当たり前を支えている物事を知れば………当たり前とありがたみは一緒に生きてるって判るもの。このふたつ が一緒なんだってわ…っ」
「…うふふっ」
…あっ。ぱっちりと目を開けた輝に、僕の口は塞がれた。その先は言うから黙ってなさいよ、といわんばかりに人差
し指と中指が僕の口に添えられている。…じゃあ。
「一緒に生きてるって判れば、僕が生きてることは実に素晴らしいんだなあって思うんだ…じゃないの?」
「…うんっ」
…そう。幸せだなあとか、かけがえの無い命を父さん母さんから授かったんだなあ…とか。言いたいことはいっぱい
あったけど、ひとつ話せば後からついてくるもの。よかった、輝にちゃんと伝わったんだね。
「そこまで判ってるなら、もう数えなくたっていいじゃない。葉っぱの細胞は顕微鏡で見せてもらったんでしょ?顕微
鏡で見てやっと数えられるんだから、目で一生懸命数えてるうちに人生全うしちゃうわよ」
「…あははっ、それもそうだね」
照れ隠しにぽりぽりと頭を掻くさまが、今度は輝を照らしていた。…そうだよね。顕微鏡じゃなきゃ細胞の一つひと
つは見えないよって、大五郎さんが言ってたんだっけ。
「今度何かを見たり数えたりするなら、まずは私から数えてよね。だって、私生きてるんだもの。私を数えるのは一
個じゃないもの。数えるならわた…し………ぁ………!!」
「…輝!?」
「…大丈夫、輝?少しはよくなった?」
「…うんっ。聖のおかげ」
…ああ、よかったぁ。僕がたらいを持ってくるのがもう少し遅ければ、家中が肥溜めになっていたのかも。ちゃんと片
付けたし、こうして背中をさすり続けていたのも功があって本当によかったよ、うんっ。
「薫さんも同じように、初めはこんな思いしてたのよね。…でも、その度に私のお腹で生きてるって思える」
お腹にそっと手を当てて、輝は耳を澄ましていた。今の悪阻でちょっとくたびれた輝だったけど、横顔は今すぐにでも
描きたい蜜柑色の…ううん、輝の笑顔だった。
「…聖もちぃ、撫でてあげて」
「…うんっ」
輝の手に招かれて、僕も輝のお腹にふわりと手を添えた。…そこにちぃ−千里がいるのかどうか、僕にはまだ判ら
ない。でも、輝の言う通り…確かに、こうするとちぃがいるんだなあって信じられる。おーい、おーいと呼びかけるように くるくると輝のお腹を撫ぜていると。
「…あっ。ねえ、輝。輝のほかにも、僕……あっ、僕たちが数えられるもの………じゃなかった、数えられることがあ
るよね」
「…うんっ」
輝も、知っている。ちぃと片時も離れない輝だからこそ、僕よりも先に知っていたのかも。そして、今僕もここで知った
こと。
「…ちぃがひとつから、ひとりになって生まれてくる日。何日経てば僕たち、ちぃに逢えるかなあ?」
「…そうね、まだ先じゃないかしら。悪阻が終わってからも、まだかかるもの」
「…そういえば、そうだよね。みんなが一緒だった頃に、季節を三つまわって生まれてきたのを何回も見せてもらっ
たから、僕憶えてるよ」
「懐かしいわねえ。…今は悪阻の最中だから、きっとまだ二か月ぐらいね。明日はきっと、今日よりちぃはひとりにな
ってるって思えるわ」
「…うんっ」
どちらからともなく、頬擦りをしていた僕と輝。頬が触れ合う度、とってもこそばゆくって。ちぃがひとりになって生まれ
てきた時には、こうして頬擦りしてあげたいなぁ。
リスとカラスが仲睦まじく、すずめやうぐいすが羽を休めてさえずる…神爪の里。いつまでもちぃの故郷であってほし
いから、僕と輝は……………………千里、と名付けた。
終
Miss H. 2007/3/4
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