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おセイさん
遠くの空が朱に染まっている。
夜明け前の澄んだ空気を切り裂く悲鳴。
叫んでいるのは誰……?
せき立てられる背中越しに見たのは、すべてを失う予感。
恐ろしくも美しく、懐かしい最後の記憶……。
…思えば、美しく見えたのは…輝を安心させたかったからか、僕が認めたくなかったかは…今でもわからない。で
も、あの時は確かに怖い気持ちもあったけど…本当に朝焼けみたいだなって思った。こんなにいい天気だったのに、 どうしてあっちこっちに火の手が上がっているのか不思議だった。でもやっぱり、里はそこにはもうなくて…。
里のみんなを、輝すらを護れなかった、何もできなかった僕が…昔は悔しかった。そう、昔は…緋村さん達に会え
て、本当に良かったと思う。悩み過ぎるのは僕らしくない、って時々思えるようになった。振り返って泣くのは、もっと 後でもいいって今なら思えるようになった。これも、緋村さん達や…それに…。
あれから…真田さんや望月さん達を『見送って』から、どれくらい経ったんだろう。僕と輝が旅を続けてから、どれくら
い経ったんだろう。何処にいるんだろう。…そうだね、今は東北なんだよね。雪の畳をしまって、草花が産声を上げよ うとしている季節だということや、風の優しさから感じ取れる。手を伸ばせば草のところに届きそうなんだけど…雪の 畳に寝転がっている僕の上に、草より暖かい…輝がいて届きそうになかった。
「聖っ、動いちゃだめっ。もうちょっとだけっ」
「え、あ、う、う…ん」
僕の胸を枕の代わりにして、輝が寝そべっている。まだ起きないでって、僕に懇願した。…もちろん装束越し(蛇
足?)だけど、僕の胸硬いし、男臭いし…うーん…それよりも…
「輝、気持ち悪くないの?」
「気持ち悪くないわよっ。聖の胸、枕にはちょうどいいし…それに」
言葉を続ける代わりだった。僕のほうに顔を向けて、輝と僕の頬がすうっと触れ合い…輝の髪から蜜柑の匂いがふ
わっと香る。…わっ、まただ。僕の頬が季節を先取りして、心臓が追いつこうと一生懸命走り出していた。ちょうど、輝 の耳が僕の心臓の音を聞いて楽しんでいるみたいだった。とくん、とくとくとく…とくん、とくん…。息切れしたり、走り つづけたり。まるで逃げている僕を、輝が追いかけているみたいだった。
「…僕、風邪ひいてるのかな?どこかの町についたら、お医者さんに観てもらわなくちゃ…だよね、輝?」
必死にならなくてもいいのに、僕の声はどこか必死だった。それを待ってたみたいに、輝が春と同じ笑顔を僕に向け
て…伸ばそうとした右手を、与してくれた。指と指が、抱き合ってた。
「うふふ…聖の『病気』、お医者さんでもきっと治せないわよっ。だって…だから、私言わないっ」
「え、えっ…?」
照れ隠しに僕は、空を見上げざるを得なかった。そこには、どこかの頂上を登りきった太陽が僕たちを見下ろしてい
て…長老や龍也さん、忍が羨ましく眺めているように思えた。誰もきっと、僕たちが生きていることを不幸中の幸いだ なんて思っていない。
むしろ、日に日に何かを身に付けて逞しくなる僕たちを、そこから祝ってくれている。そっとしておいてよっていう意味
じゃなかったけど、まぶしくて僕が思わず左手で光をさえぎろう…としたその前に、山小屋のような雲に太陽は隠れて いた。
「…聖っ。…もうそろそろ行く?」
太陽がさえぎられたのを見て残念そうに、輝が聞いた。一言一言に春の息吹が息づいて僕に触れ、頬を今の季節
に連れ戻してくれる。よく考えてみると、僕の手のひらと輝の手のひらを比べて…汗にまみれていることに気づいた。 …もしかすると、いつかは僕の汗が鬱陶しくなるって思えるのかもしれない。どうしてそう考えるのかは…今は怖い? から、やめておこうかな。
でも、それはいいことなんだって、そのまま受け入れられるようにいつかはなりたい。里をなくしたときから、真田さ
ん達を見送ったときから…今まで以上に僕に見せてくれる、輝の笑顔も泣き顔も僕は壊したくないから…ううん、一緒 に育んでいきたいから。
すっと輝が立ち上がって、繋いだ手をひいてくれた。…まだ、返事はできそうになかった。もうちょっと頬の季節が戻
れば、普通に喋れる…と思う。こくりと僕は頷いてから、今度は輝の手をひいて僕たちは歩き出した。歩き始めた… う、うん。やっぱり、先の季節に浸ってのぼせた僕は風邪をひいているのかも…う…ん。
「…?聖、私達さっきから同じ道通ってない?」
「え、そうかな?」
輝に言われて気になったから、念のため地図を取り出して確認してみた。
「うーん、この道で合ってると思うよ」
「だって、さっきから同じ道3回も通ってるみたいに思えるんだものっ」
もう一度あたりの景色を見回してみた。このあたりは三叉路や田んぼが多くて、あまり景色の移り変わりはなかっ
た。でも、今はお昼時だから太陽は南にあるわけだし…方角間違っていないと思うんだけどなぁ…。
「…じゃあ、もしかしてこの地図古いかな?昨日泊めてもらったおじいちゃんからもらった地図、慶応元年の地図だ
よって教えてもらったんだ。…ちょうど輝がお風呂に入ってるときに」
「…あー、もうっ。それ古いわよぉ。いつの時代よっ!?まだ徳川家が日本を支配してた時代じゃないっ!」
輝の目が女狐になって、僕をまじまじと睨んでいた。『頼りないじゃない』って暗号が、視線をもって僕に送られた。
…身体の季節が逆戻りして、背筋が凍っていたのがとっても怖い…
「…あ、あ…そうなん…だ?で、でもっ、道ってそんなに変わるものかな?たまたまここで迷っちゃっただけで」
「…もうっ。…じゃ、さっきの分かれ道に出たらせーので指差してそっちに行きましょ」
「あ、うん。そうだね」
輝の言うとおりにしてみよう。頬をちょっとだけぷうと膨らませて、輝が早歩きを始めた。僕の前では、輝の喜怒哀楽
が殊更風呂敷みたいに飛び出してくるのが大好きで…ちょっとだけ怖い。地図をしまって、輝の後ろに続いて僕は歩 き始めた。あまり広くない道のせいか、人はおろか動物の鳴き声さえもなぜか聞こえてこない。
それでもカラスの鳴き声が聞こえたときはほっとするし、リスの足跡を見つけたときは追いかけてみたくなる。急ぎ
の旅じゃないから本当は足跡を辿ってみたいけれど、迷い道を抜けるまでは輝の気分は晴れなさそうだった。
何かないかなとあちこち見回しながら歩いているうちに、輝の言う同じ三叉路に辿り着いた。後ろを振り返ると、僕と
輝の足跡しか残されていない。うーん…間違っていないと思うんだけど。田んぼを見ると切れ切れに春の予感が顔を 覗かせているから、確かに南へ向かっているんだと思う。だけど、輝の意見も尊重しなくちゃ。
「じゃあ、聖。いくわよ」
「うん」
『…せーのっ!』
人差し指を矢に代えて、僕たちはどっちに進めばいいのか思い思いの方向を放った。
「あっ」
「…もぉっ」
…。僕と輝の伸ばした腕が仲違いして、『×』の字を作っていた。僕は右の道を指差し、輝は左の道を指差してい
る。まさかそれぞれの道を辿るわけにも行かないし、うーん……どうしようか………?!
「あっ!」
「どうしたのよ、聖?」
「うん、いいこと思いついたんだ」
「いいこと?」
突き出した腕を腰に当てて、輝は不思議そうに僕を見ていた。…そうだよそうだよ。知識は持っていても、うまく使い
こなせなければ宝の持ち腐れ。こういう時こそ使ってみないと。
「ほら、先週だったかな?街中で算術の先生に教えてもらったよね」
「ええ、そうだけど…ねえ聖、腕下ろせばいいじゃない」
「あ、うん」
輝に言われたように僕は腕を下ろした。輝のように腰を当てながら腕を高らかに上げて指を差せば、『少年よ、大志
を抱け』で有名なクラーク博士に見えていたかもしれない。どこかの農学校の先生に先月教えてもらって…って、その 話は置いておかなくちゃ。そうそう、今は…
「ふたつの力の向きが合わさったときに、新しく生まれる力があるっていう話聞いたよね?僕が右の道を指差して、
輝は左を指したでしょ。僕たちの力の向きが合わさって新しく生まれる力は…ほら、真ん中だから真ん中の道を行け ばいいんだよ。うん、こんなときに教えてもらったことが役に立ったよね」
「…?」
…。輝の代わりに、カラスがアホウアホウって僕に呼びかけながら北へ飛び去っていった。…あれっ、違ったのか
な?『べくとる』ってそういう意味だよって算術の先生、言っていたと思ったんだけどなあ…?小噺が面白くなかったと きのように、ふうと輝がため息を漏らしたのがかすかに聞こえていた。
「…小難しくてちゃんと聞いてなかったけど、多分違う…わね」
呆れ半分で、輝が間違いだよって僕に教えてくれた。…あはは、なんだか面目がないなあ。…と思ったら、
「…輝?」
「ほら、ちゃんと真ん中指差して」
「う、うん」
僕の腕を輝が取って、言われたように真ん中の道を指差した。道や指の先っぽだけを見ているとなんだか心無くて
も、僕の腕を見ると輝の両手が寄り添っている。往く道は間違いじゃないよ、と僕に…ううん、僕たちに教えてくれてい た。
「うふふっ…ほらほら、行くわよっ」
「あ、うんうんっ」
輝と腕を繋いだまま、僕たちは真ん中の道を選んで二人三脚のように歩き出した。ちらりと横を向くと、輝が蜜柑の
ようなさわやかな笑みを見せてくれている。…蜜柑は笑わないけど、輝の大好物だから食べているときはいつも笑顔 なんだよね。
幸せそうな僕たちが何処に行くのかを知りたくて、僕が探していたリスが後ろから追いかけていることに僕たちはき
っと気づいていなかった。しばらくは二人と一匹で歩きつづけた後、いつの間にかリスがいなくなっていたことにも僕た ちは気づいていない。終始最後の北風が、迷い道から追い出そうと懸命に吹いていた。
案の定景色が変わり、山々に生きる一本一本の木々が春を待ちぼうけしている姿が判るまでになった。それはま
るで一本一本の枝々が敵意をあらわにしているみたいで、林立していながらもお互いに他人同士のように思えてなら なかった。
…というのは見せかけで、トンビが木の枝で羽を休めているのが見えるし、他にも木々に優しさがあふれていること
に気づかされた。遠くの景色も、近くまで行けばいろんな発見があるもの。…あれ?僕、いつから詩人さんになったん だろう?
「あっ、聖。足跡」
「…うん。言われてみればそうだね」
輝が言うように、僕たちだけだった足跡は何人もの人が通っているまでに増えていた。人通りが多いってことは、集
落や村が近いっていうことだから…ちょうど夕暮れ時だし、今日はそこで泊まることにしよ…?!
「…輝、あれ…」
「…うんっ」
…道の向こうで、一人の女の人が風情の悪そうな五人の男に囲まれているのが見えた。まだ寒いのに男達は着
流しの姿だった。うーん、このあたりに住んでいるのかな?遠くからでも、女の人が洋服の上に着ている白衣がよく目 立った。悪い事態なのは遠くからでもよくわかる。
でも、事情がわからないだけに迂闊に手を出してはいけない。ひょっとすると、僕たちのせいで女の人の命が危うく
なってしまうこともあるかもしれない。…旅の出始めの頃は僕自身それをよくわかっていなくて(今でも納得がいかな いときもあるけど)、輝によく止められていたんだっけ。気づかれないよう、林に身を潜めつつ女の人の所に近づいて いく。幸い(輝なら当然という)、僕たちの姿に男達は気づいていない。
「なあ、姉ちゃん。俺等にも薬分けてくれやぁ。人助けしてんだろぉよぉ」
はなからそんな気はなさそうだ。声やへらへらしたその表情から、女の人をからかっている。…それどころか、その
人にもっとひどいことまでしでかしそうな悪い予感が、僕たちの背中を揺さぶった。揺さぶりに耐え切れず、輝が腕を 震わせているところを見ると…取り囲んでいる男達を見ていると…僕の胸の季節は、盛夏に疾走していった。
「…断る。おまえ達に用はない。通せ」
男の人たちに臆することなく、薬箱を持ち直して女の人は通り過ぎようとしたけれど…
「だからぁ、どうせ日が暮れんだからさぁ。俺等ん所来て休みなよぉ?悪いようにはしねえよぉ、なぁ」
腕をがっちりつかまれて、振り解こうにも女の人は解けずにいた。抗う腕よりもばさばさと白衣が揺れているほうが
目立って、飛べない鳥の姿を見ているようだった。子供を護るように、つかまれていないもう片方の腕で薬箱を懸命に 護っているのが痛々しくて…。
「離せ!薬を渡す気などない!」
「ふん、やだねったらやだねぇ。遠慮なくおもてなし受けなよぉ、なあ」
女の人が仕方なく振るった声の刃でも、男達を斬り払えなかった。…もう、これ以上ここで黙って見ていなくていいよ
…!
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