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緋村さん
「あ、聞こえる聞こえる」
「今日も弥彦、薫さんから稽古つけてもらってるのね」
僕たちとおセイさんが東京、薫さんの神谷道場へ向かうまでに季節の三ヶ月を冬と交代して、春がほのぼのとした
気分でここまで連れてくれた。竹刀の音が空に打ち上がり、海と同じ空に志の汽笛を弥彦くんと薫さんは鳴らしてい る。心意気を起こしてくれる昼下がりの時だった。あの時と変わらないたたずまいで、今日も道場は僕たちや誰かを 待ってくれていたのが嬉しくって。
「ここに緋村が住んでいるの…これからの剣の道を緋村自身が考えるにはいい所だわ」
おセイさんの一言になんとなく、含蓄があるように思えた。これからの剣の道。人を殺めるためだけにあるのがどれ
だけ悲しくて辛いことか、僕も輝もよく知っている。だからこそ竹刀と竹刀が肩を叩き合う音を聞くと、僕の胸は夏模様 になる。緋村さん達の顔、僕もう待てないや。
「ごめんくださーいっ!僕です、聖ですっ!」
玄関に入って開口一番(あとで使い方が違うって輝に言われちゃったけど)、『ごめんください』に緋村さん達を呼ぶ
意味をこめて、僕は空の色と同じ声で叫んでみた。胸が高鳴って、もうそれだけで時が隔てた僕たちとみんなとの距 離は埋まっていたかもしれない。わざと輝が両手で耳を抑えてうるさいっていうふりをしていたけど、顔は桜のように 満開だった。
「はーい!」
「ただいま参るでござる!」
と、忘れもしない同じ空の声と一緒に見覚えのあるふたりが、玄関へと疾風のごとく現れた。遅れてトントントンと床
を駆けていく音と、春眠暁を覚えずの足音が聞こえて、『剣心組』のみんなと数年ぶりの再会を果たした。携える逆刃 刀で悪しきをくじいて愛しきを護る緋村さん。着物姿は華々しく、今は華々しい心を自身に問うため胴着に身を包み、 汗を光らせている薫さん。
元気と威勢を僕にもっと教えてくれた、薫さんと同じく稽古着姿の弥彦くん。男気を僕に教えてくれた左之助さん
は、なんだか眠たそうだった。僕たちに見せてくれるみんなの笑みは、何も時を隔てていなくて。みんな、僕と輝の家 族みたいだった。
「聖くん、輝さん、おかえりなさい」
胴着に動を見せる薫さんの笑顔は、試合をするときのそれの格好とは逸脱するくらい眩しかった。…僕にお姉さん
がいたんだっけな、なんて錯覚を感じそう。だなんて輝に知れたら、また笑われちゃうかも。稽古の最中だったのと付 け加えていないところに、時が隔てた僕たちと緋村さん達の距離は変わっていなかったんだなあ、って気付かされ た。
「薫さん、ただいまっ。…お土産何も買ってこれなくてごめんなさいっ」
「いいのよ、輝さん。ふたりの笑顔が一番のお土産ですもの」
いえい、って親指を立てる輝を見ているとまるで薫さんと姉妹のように感じた。…似て非なるなんて、こうして輝と薫
さんを見ていると誰もそう思わないと思う。
「まあ、聖はいいけどよ、輝も一緒となると薫が二人いるみた…」
『どーゆー意味よ、弥彦?!』
弥彦くんの言葉が終わらないうちに、輝と薫さんの声が『斬り返し』た。ふたりの顔が、農学校の先生が言っていた
世界一辛い唐辛子『はばねろ』みたいに色づいて(?)、怒りを弥彦くんにめらめらと燃やしていた。今叩かれたりなん かしたら、身体がひりひりしそうで怖い…かな?…と思ったら、本当に弥彦くんに殴りかかろうとする勢いの薫さんと 輝だった。
「まあまあ、薫殿、輝殿」
「そうだよそうだよっ!輝、暴力よくないってば」
『うるさいっ!』
僕と緋村さんでふたりを押さえていても、まだ握りこぶしをぐるぐる回している輝と薫さんだった。その間にふああと
欠伸したり顔を軽く叩いて、左之助さんが夢の御簾を一生懸命上げていた。
「ふぁー…悪りぃな、夜通しで博打やっててよ。にしても、おめえらふたりいると面白れえな。おまけに別嬪さんまで
連れてきてよ、おめえらの仲人か?おう、聖と輝も来るとこまで来たってか」
「えっ!?」
「違うわよ、左之助さんっ!ちゃんと話を聞いて!」
同じ驚き方でも、僕の季節は納涼で輝の季節は暖冬だった。…おセイさんは、蚊帳の外…?で僕たちと緋村さんた
ちとの再会をぼうっと傍観していた。うっすらと笑みを浮かべて、寂しそうにも嬉しそうにも何故か見える。
「…久しぶりでござるな。神…いや、富永セイ殿」
「えっ?!剣心、知ってるの?」
弥彦くんよりも左之助さんよりも、一番驚いていたのは薫さんだった。みんなに軽く礼をして、おセイさんもやっと僕
たちの輪に入ってきてくれた。…輝はもう、緋村さんとおセイさんの関係を悟ったらしく、気付かれないように二人を見 比べて、緋村さんとおセイさんの顔を見ていた。
…一瞬、二人の顔が相反しているように見えたかな…と思ったら、いつもの表情に戻っていた。…うーん、僕の見間
違いかもしれない。…だけど、そっと吹いていた風はその時だけ止まり、何かの手がかりを教えようとしていたような …いつかの行灯みたいだなって、なんとなく思った。
「ええ。緋村とはね、京都にいた頃傷の手当てをしてあげたの。医者として佐幕派・攘夷派の関係なく」
「おろ…?…!おお、あの時は助かったでござるよ。すまぬ、セイ殿の御恩を忘れかけていたとは…申し訳ないで
ござる」
おろ?と言いかけて、緋村さんはおセイさんとまるで言葉を合わせたみたいだった。…お友達以上の何かがある、
って輝はもう気付いたのかも。でも、うっすらと見せる二人の笑顔は、言葉と違って本当に嬉しそうだった。
「へえ、セイって剣心の命の恩人だったのか」
「嫌だ、弥彦くん。医者なら傷ついた人を放っておけはしないわ」
「おセイさん、長旅でお疲れでしょう?何日でもいいですから、うちに泊まっていってください。空き部屋いっぱいあり
ますから」
「ありがとう、薫さん」
おセイさんと薫さん達が改めて自己紹介をする必要なんてもうなかった。蕾のままで躊躇っていたおセイさんの笑顔
が、みんなの前できれいに開花しているから。やっぱり、きれいな人だなあって思う。
「おう、おセイさんよ。適当に荷物運んでやるからよ、ゆっくり休んどきな」
「ええ」
大きな欠伸で身体に元気を取り入れ、左之助さんはおセイさんの薬箱と荷物を持って空き部屋に向かっていった。
きっとその後でまた眠るのかも。…目の隈がまるで歌舞伎役者みたいだったから。
「ここでの立ち話も難でござるから、行こうではござらんか。拙者、セイ殿に見せたい場所があるでござるよ」
「えっ?」
「いいから、俺達についてこいよ」
小首をかしげるおセイさんをよそに、弥彦くんは道場のほうに足を向けていた。…そうだよ、どんなに疲れていても元
気になれる場所が神谷道場にはあるんだよね。さっきはそこから威勢のいい音が漏れていた。
「まあまあ、弥彦くんや緋村さん達についていきましょうよ。僕もそこ大好きなんです」
「もう、にこにこしちゃって。聖、馬鹿みたいにかわいいわよっ」
草鞋を脱いだ僕の背中を押しながら、とうに脱いだ輝も薫さん達に続いて歩き出した。輝の手のひらから僕の背中
に、人しか生み出せない春が生まれていて心地よかった。おセイさんやみんなの足音が合わさって、待ちきれないか のように床を弾ませていた。
「ええええええいっ!」
「たあああああああっ!」
僕と弥彦くんの竹刀が打ち合い、お互いの元気を確かめ合った。うん、志の汽笛が道場から打ち上がって僕たちを
すがすがしい気持ちにしてくれる。本当は僕も疲れているはずなのに、背中にトンビの羽が生えて身体が軽い気分に なっていた。部屋のどこかから左之助さんのいびきが聴こえ、道場の隅っこにはおセイさんと緋村さんに輝が座り、応 援のまなざしを送ってくれていた。
「弥彦、聖くんに気圧されてるわよっ!心を遁走させないで!」
「けっ、言われなくてもわかってらぁ!おい聖っ、竹刀と竹刀でお前の話聞いてやるよ!」
「うん!」
薫さんから薫風を授かった弥彦くんの動きが、いっそう輝きを増してきた。とんとんとんって板を踏む音が弥彦くんを
滑走させて、僕に迫ってくる!
−聖!輝と仲良くいちゃいちゃしてんのか?!『胴』なんだよっ!?
ぱちん
−うん、いつも『面』と向かって楽しく旅をしてきたんだよ!
ぱちん
竹刀と竹刀は本当に、風を斬り打ち合って語り合っていた。僕に見えている世界が二転三転、遠ざかったり近づい
たりして…弥彦くんも僕と同じように、試合を通して動く世界の中にいた。
「…緋村。お前は、剣の昇華した姿をこうして見守っているのか」
「…そうでござるな。神谷活心流は剣を持つことの意味を、己の命を剣に吸われないための…いや、それよりも心と
命の重さ・尊さを問い、剣の往くべき道を自ら見出すにはよい流派でござるよ」
と感慨深く話していたおセイさんと緋村さんに、僕と弥彦くんはもちろん気付いていない。おセイさんは横目で緋村さ
んの逆刃刀を眺め、僕たちの竹刀と姿を重ねていた。そのうち竹刀のほうがはっきりとおセイさんに見え出して、幕末 から今の時代まで脳裏に走馬灯が燈っていたようだった。でも、それも僕たちが呼び合う竹刀の音にかき消されて、 いつの間にか僕と弥彦くんだけを目で追っていた。
「や・ひ・こくーんっ♪」
「?!燕、なんでお前がいんだよ!?」
「…隙ありっ!」
燕ちゃんに気を取られかけた弥彦くんの隙をついて、よそを向いた刹那に僕は面…
「…って嘘よ、嘘っ。私が燕ちゃんの真似したのよっ」
「…えっ?」
呆気にとられて、僕も思わず輝をぽかんと見ていた。輝、声真似じょ…?!
「…わ、わああああああっ!」
ど、どうしよう?!片足だけ爪先立ちのまま止まっていたから…身体のつりあいが取れないよっ!
「おい、聖!馬鹿、おめ…うわあああああっ!」
どすん、と僕が倒れたのと一緒に…きゃっ、って輝と薫さんが顔を覆って僕と弥彦くんから目をそらした。
…何かに必死に掴まろうとした僕がいけなかった。僕の左手は弥彦くんに助けを求めていて、袴をがっちりと鷲掴
みしていた。…そのせいで弥彦くんの袴が落ちて、見…?!ご、ごめん。
「もうっ、聖の馬鹿ぁ!」
「ご、ごめんっ輝っ!」
輝の顔が林檎より赤く赤面して、目を逸らしながら僕を叱っていた。…?でも、もとはと言えば…あれ?…うーん、
確かに僕がいけないんだけど…?
「お、おめえらなあ…輝、紛らわしい真似すんじゃねえよ!聖、いい加減手離せよ!」
「あ…」
あきれ果てた弥彦くんに心で面を打たれた。…ということは、僕の負けだね。あははは…はぁ…情けないなあ、僕。
僕の手から袴がもぎ取られ、ようやく弥彦くんは恥ずかしくない姿に戻れた。けど、顔はまだ熟れたままだった。…あ れ、なんか力が出ないなあ。僕の心が壷の中に逃げちゃっているせい…?
「聖くん、大丈夫?」
「あ、はい、薫さん。僕、何とか立てます」
とは薫さんに言ったけど、身体から抜けたがる心を引っ張りながら辛うじて僕はやっと立てた。それでも、震える足
から伝わる床板の揺れが僕の動揺を隠しきれていなかった。…あーあ、おセイさんや緋村さんに笑われたかな…っ て…あれ?
「…おセイさん、緋村さん?やだ、いつの間に?私の隣にいたのに…?」
輝の隣にいたはずのおセイさんと緋村さんがいつの間にかいなくなっていた。ここにいるものだと僕たちはもちろん
のこと、特に輝は緋村さんとおセイさんの隣に座っていたから尚のこと驚いていた。…関係ないけど、狐につままれた 顔の輝も僕は好きだなあって思う…って、そうじゃなくて…。僕、穴があったら今入りたいなあ…うん…。
「…剣心とおセイさん、何処に行ったのかしら」
当のふたりは、縁側に座ってぼうっとしていた。ふたりとも、無言のままだった…というよりは、おセイさんが何か物
事の整理をしているらしくて。目をつぶってみたり、ぼうっと前だけを見たりをゆっくりとおセイさんは繰り返している。
「…セイ殿。玄関でそなたが話した拙者の怪我の介抱は、嘘でござろう?」
「…ああ」
まだ、おセイさんは空返事しか返せなかった。緋村さんが聞いたことより、目に映る道場の塀が鬱陶しくも、もどかし
くも思えたみたいだった。門が左斜めに視界に入っていたけれど、外の様子はここからじゃわからない。開放感のな い風景は(道場の悪口を言っているんじゃなくて)、今のおセイさんそのものだったかもしれない。
…やがて緋村さんと逆刃刀を横目に収めて…意を決したように、おセイさんは改めて緋村さんに向き直った。意を悟
った風は、鳥はさえずりをやめて傾聴とも批判ともとれない態度で、言葉を聞こうと努力している。
「…緋村。聞きたいことがある」
「うむ」
判っていたおセイさんの言葉に、緋村さんはゆっくりと頷いた。
「…その剣で、お前は明治の世においていくつ笑顔を見てきた?」
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