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緋村さんとおセイさん
足音が先か、僕が先か、それとも…きっと、声が先に駆け込んだに違いない。全然遠いわけがないのに、緋村さん
とおセイさんのもとまで一里あったように思えた。息切れした足音のその後に、僕と薫さんが駆けつけて…僕はふた りを絶対に視界から消さなかった。
「聖くん!?」
「…薫殿、どうしたでござるか?」
おセイさんと緋村さんの驚き方はあまりにも違いすぎた。絡まった糸を見られて恥じる顔と、巻き取った糸のように
見せかけた平然とした顔。…緋村さんが紡いだ平生の声と言葉は嘘なのか、それとも薫さんの慌てぶりを見て本当 にそう思ったのかは僕には…もしかすると、緋村さんにも判りかねていたかもしれない。
「剣心、とぼけないで!そんな剣の振るい方間違ってるわ!」
「そうですよ!どんなに言い繕っても、剣は結局人を傷つけるためのものでしかないんです!…僕も、真田さんや今
十勇士の皆さんとの件で嫌というほど思い知らされました。………心に傷がつくことはどうしても避けられないんです よ?!お医者さんのおセイさんなら…ううん、緋村さんも知ってるはずなのに!」
僕たちの声はふたりの袖にすがり、悲しみの温もりを託して懇願した。…胸がドキドキした。破れた心の着物からこ
ぼれた、悲しみの欠片を知らずのうちに拾い集めていたから。………助けてほしいけど構わないで、と強がりなのか 意地なのかわかっていない悲しみ達を放っておけないから。
飛び出した手前、僕に何が出来るんだろうと………おセイさんの抱えている問題から逃げ出そうと僕の頭が逃げ腰
になる。でも、それでも……いけないことぐらいはわかっているよ!たとえお節介だったとしても、いけないことぐらい は僕にだって…!風も勢い余って転んでしまい、パッと砂埃を巻き上げた。思わず目を覆った緋村さんとおセイさん。 向かい風が起き上がったときには、輝と弥彦くんも僕たちに追いついていた。
「…輝さん、弥彦くんも………聴いていたのね」
「…ごめんなさい、そんなつもりはなかったんです」
「…ううん、輝さん。いいの。私の願いはどれだけ聖くんや薫さん、みんなを傷つけるものか………ごめんなさい。私
こそ、聖くんと輝さんを騙してしまって」
「…そんなこと、言わないで下さい。おセイさん自身を自問するために、緋村さんの所へ行こうと決めたんですよ
ね?道案内の役を果たせたなら私、それでいいんです」
自分の言葉に非はない、と輝は主張しているけど……………僕とは違う何かで、輝は脱ぎかけた心の着物を見る
のが怖くて、おセイさんに顔を向けられずにいた。目を閉じれば、尚のこと痣や切り傷がみすぼらしさを如実にするか もしれない。
………輝に何か言おうと向いた僕は、何も言えなかった。何かを悟ったその顔を見て、焼け石に水なのよ………と
すずらんのうな垂れを見せる輝が、僕は正しいとさえ思ってしまいそうだった。………でも、僕は違うと思う。振るいた くない剣を振るってまで、見えるものなんてないんだから…………なのに、輝はどうして…………
………でも、それより先を考えるのは怖かった。緋村さんとおセイさんを、敵だ味方だ…って分けそうになるから。時
代を乗り越えて出来た親しい橋を、壊したくなかったから。
…そうだよ!おセイさんの悲しみを少しでも和らげる方法、他にあるはずだよ!何もお互いの剣で傷つけあわなくた
って…!
「…剣心?!」
「緋村さん!?」
「…緋村、やめて!頭を上げろ!どうしてお前が土下座をするの!?」
…僕が考える間もなく、緋村さんが僕たちに向き直って土下座をした。考えるより先に、僕の言葉が呆気にとられて
いて…。緋村さんの顔は悶絶を心の内奥に秘めていた。………糸の疼きをすぐに紐解く術は知っていても、本当は するべきではない………だけど、やらざるを得ない………と、おセイさんと僕たちの間で右往左往しているようだっ た。
「…『剣は凶器、剣術は殺人術。どんな奇麗事やお題目を唱えても、それが真実』でござる。…薫殿、弥彦、聖、輝
殿。紐解けぬ悩みは多くの月日を重ね、自身で考えねば悩みの受容・悩みとの付き合いはできぬもの。できることな らば、拙者もセイ殿と剣で交えずとも悩みを紐解く…否、円滑に付き合う術を考えていきたいでござるよ。………しか し、皆は其処で聴いていたでござろう?…セイ殿は気にかけている大勢の患者を待たせてまで、拙者の元へ来たと いうことを。ひとりの人間としてではなく、ひとりの医者として拙者の元を尋ねてきたということを。本来ならば一刻の 猶予も許されぬのでござる。己の良心を嫌というほど責めた………それだけでも辛いはず。セイ殿が抱える悩みが 産む、悲しみと怒りの見方や認知を変えるべく、そして悩みを悲観する心を『殺める』ために…セイ殿は拙者と剣を交 えるのでござるよ。すまぬ、薫殿…。許されざる行いであることは、承知しているでござる。どうか…」
……………そのあとの緋村さんの言葉は、向かい風が告げた。もう面を上げなさい、という意味を少し乱暴に込め
て。言葉を『振るう』緋村さんを見ているのが、僕も…みんなもきっと辛かった。
「…いいじゃない、緋村さん」
「輝!」
…何を言い出すんだよ、とは言えなかった。剣を振るう正しさと、おセイさんの悩みと悲しみ・怒りを載せた天秤が僕
の頭の中で動かなかったから。ただ、どっちも重さで軋んではいるけど…………敵味方、善悪で決められることじゃ ないってようやく僕にも判りかけていた。でも、傾く輝が怖かったから僕は思わず…輝の名前を呼んだのかもしれな い。
「聖は黙ってて」
「う…うん」
緋村さんの言葉を聞いて、輝は自分の言ったことに非はないと確信したようだった。ふたりに面と顔を向けられなか
った輝の目は凛としていた。今はおセイさんの心の傷をしっかりと見つめて…ただ、かわいそうというだけで終わらせ るつもりはないみたいだった。
「…それしか術がないなら、おセイさんの力になってあげられるのは緋村さんだけなんです。おセイさんの悩みも悲
しみも怒りも、そう簡単に斬って捨てられるほど易いものじゃないはずです。剣が人の手で自制できなくなったから、 殺人術って呼んでるだけだって…私思います。人の祖先を辿れば、猿に行き着いて…もっと遡れば、同じ生き物に辿 り着くでしょう?理性しか持ち合わせていない人間なんて、動物なんていないんです。だから、ずっと抑えてきたおセ イさんの本能に緋村さんが応えてあげられれば…それでいいじゃないですか」
僕よりも、今は誰よりも大人らしく見えた。そっと話を聞いていた輝は何処にもいない。悲しみを伝えた手は、決して
同情じゃなくて…おセイさんの行いは正しいのか間違っているのかを輝なりに考えていたんだね。
「緋村、お願いだから顔をあげて」
「…ごめんなさい、剣心、おセイさん。ふたりの気持ちも知らずに…」
膝をついて、薫さんは緋村さんを覗き込んだ。緋村さんがおもむろに身体を起こすと、薫風に髪をなびかせた薫さん
が目の前に。
「…すまぬでござる、薫殿」
「もう、いいから…謝らないで」
心の半鐘は僕たちから少しずつ薄れていた。それでも決して雰囲気は明るくはない。でも…こんなことを言うのはお
かしいけれど、剣を振るう理由が判って少しほっとしたというか…。でも、やっぱり望ましくないことに変わりはない。お セイさんに時間があるなら、僕や緋村さんの本当の考えが望ましいはずだよ。
「…聖、わかった?」
「…うん」
僕の頷きは重くもなければ、楽観もしていなかった。ただ、どうなるんだろう…という不安はあった。それはきっと、
僕の目で確かめないと判らないことだと思う。
「ほう、輝も嬢ちゃんや聖以上に大人じゃねえか」
だしぬけに後ろの障子が開いて、左之助さんが欠伸をしながら出てきた。…みんな、おセイさんが気がかりだもの
ね。少しでも元気になって、お医者さんとして頑張ってほしいから。
「おろ?左之まで其処にいたでござるか」
「まあ…な。嬢ちゃん達がバタバタ駆けるもんだからよ、何事かと思えば…ま、剣心に喧嘩を売るくらいだ。それだ
けおセイ…おっと、それだけ清三郎さんは腕が立つんだろうよ。いいか、おめえも清三郎さんも妥協だけはすんじゃね えぞ」
首と肩を適当に回しながら、左之助さんはふたりに活をゆるく入れた。
「みんな……ごめんなさい、私のために」
「いちいち気にすんなよ。ずっとウジウジされてるより、さっさとケリつけちまったほうが俺も気楽でいいぜ?…その
代わり、剣心、セイ。…お前らの勝負…かなんかわかんねえけどよ、俺達にも見せろよ。いいな」
腕組みしながら柱にもたれかかって、弥彦くんが言った。弥彦くんだけがまだ解せなくてそれきり口を結んじゃった
けれど、誰もふたりに異論はないみたいだった。
「ええ。私は何も言える立場ではないもの。…むしろ、誰かがいてくれたほうが私を…ううん、互いを見失わずに済
むわ」
もう、おセイさんにも緋村さんにも…誰にも迷いはないことを、僕は確信した。…のはいいものの、なんだか僕だけが
未だにそわそわしているみたいで。いっそう大人びた輝をこの場で見たせい…かもしれない。
『人の手で自制できなくなったから、剣は殺人術』か…。理性と本能を両立して持ち合わせられるのは、人間の他
にありえない。剣は決して、人の手を離れて独り歩きしてはいけない。手綱になっているのが緋村さんの逆刃刀であ ったり、竹刀であったり…神谷活心流だったりするんだ、きっと。奇麗事やお題目といった言葉の抗いより、剣の制御 は遥かに出来ていると僕は思う。だけど、それでも不安は消せない…ううん、薄れないけど。
風は東向き。ふたりの剣の往く先を見届けよう、と弥彦くんをはじめ僕たちはきっと思っていた。…みんな、空の色
が変わるまで喋りも動きも出来なかった。
…大勢の人が、川原へ向かう僕たちを夜空から見下ろしているような気がする。龍也さん、忍、長老………他に
も、緋村さんやおセイさんのお知り合いだった人が。…それと、もうひとりいたような気がするけど…………僕にはよく 判らなかった。横薙ぎの風が、半ば諦めながらも僕たちを追い返している。立会いの場を川原と決めたのを風は知っ ていたから…かもしれない。
誰もが前だけを見て、決して後ろは振り向かずに歩いている。緋村さんとおセイさんが…ううん、僕たちに恐れをな
しているのか人影は見当たらない。足音の寒さだけが未練の尾を引いていた。すう、すうっと草履が地面を擦る音に 温もりはなくて…春なのに、僕は手と手をこすり合わせて冷めた両手を温めている。
…僕たちは、緋村さんとおセイさんと距離を少し離していた。近づけなかった。おセイさんが腰にさしている脇差と緋
村さんの逆刃刀が、危ないから下がってほしいと忠告しているように思えたから。あの荷物の中に、薬箱の他に刀も 混じっていたなんて…
何か心で呟きたかったけど、おセイさんを責めなくないから紡がなかった。おセイさんが着替えた、五稜郭の戦いで
着ていたという黒い洋服(隊服?)は、清い白衣の色とは程遠くて…ううん、夜だからこそ違和感を感じなかった。
輝の言うように、僕がどうこう言ってもおセイさんの決意を曲げることは、確かに出来ない。蚊帳の外にいるべきなの
に…往く先を見守りたいのは僕の自己満足か、それとも野次馬根性か…………考えるのが怖かった。ここまで来た んだからウジウジするなよ、とカラスがアホウアホウと鳴いて横薙ぎの風に身を任せ飛んでいた。
「…ん?おい薫、遅れてるぞ。見たくねえなら帰っちまえよ」
「…私なら大丈夫。いいから、弥彦達は先に行ってて」
しびれを切らして弥彦くんが後ろを向くと、凍えた足音の薫さんが僕たちより離れているのが見えた。着替えた着物
の袖は首を振り、薫さんの本音がちらちらと垣間見えた。…行いの辛さを代弁しているみたいで。僕は後ろを向くつも りが、横目だけになって輝を見る格好になった。
お腹に握りこぶしを当てて、言い放った自分の言葉は正しいのか自問しているみたいだった。輝も僕の視線に応え
て、私なら大丈夫と頷いた。…なんだか寂しさと怖さ、言いようのない不安が一緒くたになって、僕は自然と輝と肩を 並べて歩いている。
言葉を紡ぐにも今は勇気がいる、僕はそんな気がした。ものすごく、僕にしては珍しく神経質になっているけど……
…決して、悪いことじゃないと思う。月が降る川は、ただただ立会いの場を無表情で照らしていた。
「…やれやれ、涼もうにもこれでは涼めんな」
警察署のある二階の一室。風は遠慮も断りもなしに部屋を突き抜けている。マッチに火が点かないことに苛立ち、
研ぎ澄まされた顔のお巡りさんが仕方なく窓を閉めた。咥えていた煙草を不機嫌そうにぽいっと捨てて、机に立てか けてあった日本刀を腰に下げた。
「…来たということか。涼むなら外に出ろと、俺に耳打ちでもしたのだろう」
ドアを開けると、蝶番から渋々軋む音が聞こえた。意識していない所で私情を抑えている、自分への苛立ちをドアの
軋みは語っていた。
「何処行かはるんや、あんさん?」
部屋を出ると、元志々雄真実一派の特攻部隊・十本刀の一員だった張さんと鉢合わせた。ホウキそっくりな髪型だ
けど、僕がもしこの場にいたらその髪で書初めしてみたいなあって思う……って、季節の遅れたその話は置いておい て。
「少し涼みにな。それまでは任せた」
「ふーん……まあええわ。一応、早よ戻ってくれへんと困りまっせ」
「判っている」
自然と斎藤さんの手が張さんを追い払っていた。荒っぽくはないのに、ドアをガチャンと閉めただけで張さんの顔が
少しだけ引きつっている。斎藤さんは見て見ぬふりをしていたかは知らない。靴音が急くなと、風に言い聞かせてな だめていた。
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