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おセイさんと斎藤さん




 「…なんですって?!」
 「マジかよ、剣心とセイの奴!?正気の沙汰か…?!」
 「いくら清三郎さんといえども、無茶かもしれねえな」
 「…それだけ本気なのよ、おセイさん」
 「輝…。…辛さや悲しみを変えるために、敢えていちばん辛いことを…」
 「…成程」

 ……………………。おセイさんの言葉で繕われた着物はとうに脱ぎ捨て、心の裸身への恥じらいが一分と、厭わ
ない想いが九分。ちゃんと隊服を着ているはずなのに、一糸も纏わない背中が見える錯覚を僕は憶えた。月と川風
がおセイさんと緋村さんを改めて濡らす。着物の代わりに心の裸身を覆うのは、風に包まれた包帯。静かにおセイさ
んへ取り巻くけれど、崩れる自分が怖いせいか微動だにしなかった。
 甘えたくとも誰かへ本当にすがりつけない、おセイさんの最後の強がり…なのかな?規則正しいつもりの息遣い
は、知らず知らずのうちにそっと…たどたどしく、風を震わせ助けを小さく呼んでいる。…葛藤をまだやめてはいけな
い、とも言い聞かせているみたいだった。

 「…………セイ殿にこの技を放たねばならないことは、正直……否、すまぬ。むしろ、拙者がはじめから気付いてい
たならば………辛さを長引かせずに済んだものを。すまぬでござる、セイ殿」
 「…いいえ。一度の奥義で悩みが垣間見えるほど、易いものじゃないわ。易い悩みならお前の元を訪ねたりしなか
った。心に傷がつかない悩みは、悩みと呼べないもの。悩みがなければ、怒りも哀しみも生まれず……対を成す喜び
も楽も生まれない。もし人から取り上げたなら、生温かい人形にしか過ぎないの。生きるために、悩みは人から手放
せるものではないわ。でも、度が過ぎると人形に還ってしまう…還らないための術を、こんなことしか思いつかなかっ
た私…」
 「もう、それ以上言うのは辛いでござろう。…さあ、セイ殿。備えるでござるよ。これからのそなたを、信じられるよう
…」

 なりふり構わずに老いた吊り橋を渡るおセイさんの言葉を、今度こそ緋村さんが手を差し伸べて歩み寄った。抜け
落ちた橋を補っているのは…きっと、僕たちや…斎藤さんも?だった。ふたりとも、言葉よりも見出せる術を見つけた
からにはこれ以上の繕いは、もういらない…ものね。

 「剣心…おセイさん………こんなことを言うのはおかしいけれど、ふたりとも………」
 「…無事で…いてください」

 輝の温もりを確かめながら、薫さんの続きを僕が紡いだ。しゃぼんの膜が目に見えていたなら、僕の視界にはもう
留められなかったと思う。輝も、薫さん達もそれは同じで………僕と輝が手を握り合うことに、何の恥じらいもなかっ
た。むしろ、僕たちやおセイさん、緋村さん………みんなと、風と繋がりあっていることを感じたいから。感じあい、分
かち合いたいから。
 横風が吹いて、おセイさんと緋村さんの髪が僕たちにむかってなびいた。………斎藤さんの隣に並んだのは誰だろ
う。…判るはずがないって…もしかすると、斎藤さんは僕たちに返すかもしれない。

 「………」
 「………」

 刀を納めた緋村さんを、おセイさんは自分自身に棲む悩みの化身と見立てたのか。牙突の構えを見せるおセイさん
を、緋村さんは花の鬼と見立てていたのか。…知っていそうなのは、ふたりのほかに…あともうふたり、いると思う。
…風は妨げないよう、僕たちの後ろで見守っていた。


 「いくぞ、緋村!…………牙突・七式!」
 「…おう!飛天御剣流・奥義……………………天翔龍閃!」


 …天翔ける龍。月に濡れて輝く牙は、悩みや悲観する心によって組成されていたのか。
 …天翔ける龍。月に濡れて輝く姿こそ、おセイさんが抱える本質なのか。
 …天翔ける龍。吹き荒れる風は、かりそめや借り物に過ぎないのか。
 …天翔ける龍。吹き荒れる風は、悩みへの閃きを連れるのか。




 それを知るのは、僕でも、輝でも、薫さんでも、弥彦くんでも、左之助さんでも…緋村さんでも…斉藤さんでもおセイ
さんでもなく…………………!




 「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ……………!」
 「たああああああああああああああああっ……………!」








 …痛い!苦しい!辛い!怖い!悲しい!泣きたい!叫びたい!逃げたい!そんなの!できない!だって!斜めな
ら!だって!おセイさんは!私には………っ!








 刹那が一分に引き伸ばされていたと、僕は思っていた。…でも、本当は違うような気がして………。顔色を見てい
た風は一足先に戻って、自然へ還っていた。厭うかのごとく身をよじっていた草達も、万人を受け入れてありのままに
揺れている。自然とはあまりに滑稽な僕たちや、最後の動作で止まったままのふたり。…でも、斎藤さんだけはとう
に適応していた。煙草の煙は、何を形作っているのかもう判らなかった。
 何処からか、桜の花びらが風に呼ばれてここまで来ていた。くるくると身を翻し、心の振幅を見せながらゆったりと
舞っている。蝶々そっくりだなあ、って僕の目は思っていてもまだ頭がそう思えない。僕も輝、みんなも………人形に
なっちゃったのかな………?糸の上を歩けども歩けども、張り詰めも揺れもしなくて。…おセイさんの悩みがなくなっ
たのを喜んでいいのか、それとも……………

 「…ん!?」
 「…あっ!」

 ……………………。おセイさんから、緋村さんから…………僕たちからこぼれたもの。ふたつの逆刃刀は任を解か
れ、ふたりの手から軽く弾き飛ばされて……蝶の舞を真似ながら、地面に突き立っていた。それだけじゃない。おセイ
さんの結んでいた髪が解かれて、なびいた髪は華を広げていた。一点に収束した悩みの解釈じゃなくて、多面的に
色々な考えを持って…決して憶測などではなく、斜め向きに、延いては前向きに向き合える力を秘めている。

 「終わったか。ま、これを見りゃ清三郎さんがこれから先、安泰だっつうのは判るな」

 鉢巻が抑え切れなかった額の汗を、左之助さんは拭っていた。僕も同じはずなのに、気にも留められなかったって
ことは…………歳の差は、経験の差……というのは間違いじゃないと思う。僕の頭にしがみつきながら、龍也さんの
結び方を真似た僕の鉢巻は空を飛んでいた。………僕の汗に春風が舞い込んで、流れた心の傷を清涼に代えてく
れた。…うん、涼しいなあ。
 北国を離れてはじめてわかる、風の恩恵。心許なくとも、僕たちの振幅を心地よく揺らしてくれる。きっと今のおセイ
さんにとって、風は言葉の着物を脱がせて……汗をまっさらな包帯に代え、おセイさんの晒し代わり………?!わ、
ぼ、僕………おかしいよ!?箍の外れている僕が、恥ずかしかった。…顔、季節を先取りしてなければいいけど。

 「…やれやれ、阿呆と呼ぶべきか判らんな。天翔ける龍は、敵対にあったはずの姿なき風を友と間違え、互いに戯
れあうとは…フン、抜刀斎め。何処まで人のいい奴だか」

 緋村さんとおセイさんに背を向けて、斎藤さんはまた煙草をふかしていた。足元には十本近く、吸殻が捨てられてい
た。煙に安堵が見えたから、斎藤さんもきっとほっとしているんだよね。

 「………っ!」
 「………あっ」

 包帯を形作る風に気付いたおセイさんと緋村さん。逆刃刀とはいえ、そのままにしていいんですかと風が問う。もち
ろん、峰と刃が逆についていようとも剣は凶器。誰も怯えさせまい…という意志をもって、ふたりの逆刃刀はそれぞれ
の手で…鞘へ帰っていった。改めて向かい合い、おセイさんがそっと緋村さんへお辞儀をした。

 「…ありがとう、緋村。………悩みに対して、何とか後ろだけは向かずに付き合える気がするわ。その根拠は何処
から来るものかわからない…でも、少しは悲観せずに頑張れそう。………ごめんなさい、緋村…………今更謝って
も、もう遅いけれど………」

 通り越したおセイさんの声音は、ゆったりとした細波を風に託していた。しゃぼんの膜に真っ先にひびが入ったの
は、おセイさんだった。包帯に癒され始めた痛みはまだ疼いているけれど、ふたつの表情がちらちらと顔を覗かせて
いる。……ひとつは本音…ううん、素直な想い。もうひとつは………建前というより、本能を託した表情。
 それは、悲しいためだけにあるものじゃない。言葉は安堵でも、おセイさんの表情は……特におセイさんから見る今
の緋村さんや僕たちは、水面から見上げている景色と同じ…かもしれない。風が思い切り泣いてもいいのに、と頬や
頭をなでているけれど。しきりに瞬きをして、まだ駄目ですと…おセイさんは言葉を介さないで言い返していた。

 「…セイ殿。そなたの瞳はもう、憂いを並べていないでござるよ。拙者の姿、もしくは天翔龍閃が擬似的ながらもセイ
殿の悩みを具現化したのでござる。如何なる考えをもって悩みを解釈し、認知を変えどう対処すべきか…………凛と
したセイ殿の姿を見て、拙者もほっとしたでござるよ。そして拙者とセイ殿が怪我ひとつなかったのも、剣術をひとり歩
きさせまいと…セイ殿が理性と本能を繋ぎ止めつつ、剣を振るっていたからでござるな」

 うん、うんと緋村さんがゆっくりと頷いていた。おセイさんに向けられた頷きは、己の役目を全うできてよかった、とい
う『喜び』。おセイさんより先に、緋村さんのしゃぼんの膜が割れて安堵の笑みを浮かべていた。

 「………おろ?思うように動けぬとは……はは、情けないでござるな…」

 おセイさんへ歩み寄ろうとして踏み出したつもりの左足は、亀や蛞蝓(なめくじ)の足にまで退化していた緋村さん。
苦笑いが、薫さんのしゃぼんをつんと突付いて膜を弾いていった。

 「…剣心…けん…しん…………けんしーん………っ!」

 水の清さに等しいものを流しながら、薫さんは緋村さんに駆け寄っていく。僕もふたりのもとへ行かなきゃ、と自分で
膜を割りつつ思ったけれど…………僕と輝の姿に気付いたおセイさんは、傍にいてあげて…と、うんうんと頷いてい
た。

 「輝………ちゃんと見てたよね。………僕、今さっきおセイさんから元気分けてもらっちゃったよ」

 輝の背中に、僕はそっと手を添えた。しゃぼんを割っても僕に恥じらいは(今のところ)なくて。心の振幅と同じだけ、
そっと…そっと背中をさすった。…あ、いけない。輝のことだから、泣き顔を見られるのはとっても嫌なんだった。僕の
胸に涙が流れるように、輝を…………あっ、ごめんなさい。僕、やっぱりその先言うの怖くって………今になって恥じ
らいも、僕に染み渡ってきた。

 「……よかっ……た。ほ…んとう……に…………。わた…し…私、つ…よが……強がって…なかったら…うっ……
……。…ったら、ずっと……ずっとずっと………泣いてた………わ………あっ………う……ふえ…っ………。聖……
…ひ…じ、り………っ…………」

 ………言葉がもどかしい。…言わなくたって僕、知ってるのに。風が輝のおかっぱ頭を弄ぶから、僕の傍で蜜柑が
香る。………輝を意識する度、僕の季節は遁走する。好きだなって、思う。まだ頭で考えると、時にはのぼせるけれ
ど…………『病』だなって、思わなくなりたい。輝やみんなを今以上護れるように、強くなりたい。蜜柑の香りは、まだ
来ていない夜更けを僕と輝に教えてくれる。明日の僕や輝を、それとなく教えてくれる…うん。

 「…薫殿、面目ないでござる。心はよくとも、身体が先に精根尽き果てようとは」
 「…当たり…前よ。いくら剣心だって…人間、都合よく出来て…ないわ」

 リボンを手拭いの代わりに、薫さんは涙を拭いて…包帯代わりに、緋村さんの腕に結んだ。涙の染みたリボンか
ら、薄荷(ハッカ)のように心の傷口を洗っていく。ひんやりとした涼しさは、まだ早い薫風も手伝って緋村さんを平生
に導き出していった。

 「薫殿。そのリボン、涙を拭くた…」
 「いいから。…薬よ、薬。剣心もおセイさんも、元気になれるように…要る分だけ泣いてただけよ」

 お母さんになったつもりで、緋村さんの言葉を制した薫さん。それでも止まらない涙を、緋村さんの腕をとって結んだ
リボンに流した。緋村さんの腕から伝播する熱は薫さんにとって劇薬(良薬の間違いだよね)だったらしく、ぽろぽろと
流れるものはいっそうリボンへと飛び込んでいく。嗚咽は…緋村さんとおセイさんへ、静かに降っていた。…明日を教
える道標として。

 「…おい剣心。俺の背中貸してやるからよ、さっさと帰ってさっさと寝ちまえ」

 見るに見かねた左之助さんが仕方なく口を開いた。泣くにふさわしい家があるだろと、薫さんに目配せしたけれど…
まだ腕をほどけないみたいで。

 「かたじけないでござる、左之。…さあ、薫殿」
 「…わかってる」

 最後はごしごしと目をこすって、薫さんは緋村さんの腕をほどいた。左之助さんに背負われ、辛うじて緋村さんは背
中にしがみついていた。…おセイさんの言っていた『人形』に見えてしまうけれど、今は疲労困憊の緋村さんだからか
りそめの姿でしかなくて。

 「…話は済んだな、神谷。ついでの用にしては重すぎたようだが。まあいい、後の話は『署』で聞こう。…いいな」
 「…はい」

 斎藤さんに連れられ、道場とは反対の方向を歩き出したおセイさん。誰も引き止めはせず、夜の深さがすぐにふた
りの姿を消していく。それでも、心のしゃぼんを大事に抱えながら歩くおセイさんの姿は、闇に紛れようとも僕の目は
追い続けていた。今あった出来事を夜は忘れて、まだ見ぬ明日の支度を始めていた。…斎藤さん、おセイさんにお説
教するのかな?でも、斎藤さんの声からするときっと……

 「…けっ、嘘言いやがって。今度は斎藤とセイで、夜通しで積もる話でもすんだろ?」
 「…うん、そうかもしれないね」

 斎藤さんから一本とって勝ち誇ったように、弥彦くんの声も顔も笑っていた。僕の声も顔も微笑んでいた。そういえ
ば、斎藤さんの嬉しそうな声を僕は初めて聴いたんだ。もちろん、表向きそういう風には見えないけれど。うーん……
…なんて言えばいいんだろう……あっ。そうそう、頭隠して尻隠さず………のような。今日はおセイさん、斎藤さんの
所でゆっくりと休めるといいなあ……。



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