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僕と輝
……?あれ、何を思ったんだろう。…ううん、何を思ったんだろう…じゃ、『病気』の僕と何ら変わりがない。あといく
つ戸惑えば、素直になれるんだろう。
どうして輝が、僕の胸を枕にするのが好きなのかようやく判った。…僕がいちばん、好きじゃないからだ。…僕だけ
が、輝は好きだから。…そして、僕がこんなことを出来るのは…輝だけが好きだから。
「…おいでよ、輝。寝巻きより布団より、暖かいよ」
…?あれ、こんな風に言うつもりじゃなかったんだけど…ううん、いいか。遁走する僕の頬を追い抜いて、輝も頬が
熟していた。平生から離れた光の中でも、彩りに喜びと恥じらいが生きているのが判って、ただただ嬉しくって。
肌蹴させた僕の寝巻きから、包み隠していない…僕の胸が、輝の眼前を満たしている。筋骨隆々ってわけにはい
かないけれど、山脈の険しさが少しは表れている僕の胸。そして地中から聞こえる、生きとし生ける者ならば誰もが 歩みをやめないこの音。勇ましい拍動、駆け出す鼓動。…一切の気持ちが、一人ひとりの心拍に込められている。僕 の胸に耳を当てて聴く度、心に着せられた着物を恥じらうことなく脱ぐ輝。綻んだその笑顔は、天に散りばめられた 星々よりも………こうして、至福を輝り放つ。
「…うんっ」
僕の背中に手を回し、初めて輝は…衣服を介すことなく、僕の息吹を聴く。と…くん、とくん、とと…く、くん。とっく
ん、とく、とくん……とくん。…とくん、とくん……。何も隔てることなく僕の背中に輝の手と腕が、僕の胸に輝の耳が触 れている。…人の息吹が伝播する。身体の境界が薄い、それだけで……ああ、好きって……こういうことなんだ。
「…あったかい、聖っ…………うふふっ」
「わ、輝っ………」
蜜柑の香しい笑みを漂わせ、僕と輝の頬が触れ合う。愛でるようにそっと、頬擦りをする自分を恥じらう輝。頬が往
き交う度、僕の頬が羞恥で火傷しそうになるけれど…。言葉じゃ紡げない、ええと…その…………うん。そうだよ、僕 と輝しかこの部屋にいないんだから。………言葉では紡げない愛しさが…僕の心に、輝の心に燈る。夜を映すふたり だけの灯火がこそばゆく揺れる。灯火をくすぐるのは、ほっと漏れる暖かな僕の溜め息だった。
輝の指が僕の頬を滑って、言葉を描く。………す………き。ああ、僕もやっと同じように笑えた。なぞられたからじゃ
ない。恥じらいながらも、輝が好きな僕を受け入れることができたから。輝の笑顔を、命が尽きようとも護りたいと誓え るから。………放したくなかった。放したくなかった、だから……………輝の背中に僕の手を添えた。………初めて、 僕と輝は………布団の中で、抱きしめあっていた。ふたつの熱が身体中を駆け回っている。……………す………… …き、とようやく僕も……息に忍ばせて輝の頬にそっと紡げた。
「…もう、病気だなんて呼ばせないわ」
頬をかすめる声がこそばゆい。この『病気』におろおろしてもいいかな、って初めて思える。初めてのことが多すぎる
けど、初めての僕はもう『病気』じゃない…よね。
「…うん」
…………安堵を憶えたら、急に眠気が襲ってきた。夢路と布団の区別がつかなくなりそうだった。今夜だけでも同じ
夢を見られたら……って、僕は切望した。…今だけは、寝巻きと布団…輝のほかに、僕に判るものはなくて………そ れだけで、もう十分だった。
「………眠たそうね、聖。……もう私も寝ようかしら。おやすみ、聖…」
「…うん。おやすみ、輝…」
…月が降る夜。ううん、月が愛でる夜。
夢へ旅立つ前に僕が見たのは、至福に満たされた輝の寝顔。
もうひとくみ満たされていたのを、僕たちは知らなかった。
「聖くん、これもお願いね」
「あ、はいっ」
「…うん、洗濯物はこれで全部ね。さてと、私は道場の掃除をしなくっちゃ。弥彦、左之助、起きなさいっ。ほら、剣
心の代わりに働くのっ」
「…ふぁ〜…薫、もう少し寝かせろよぉ…」
今日も朝から日差しが強い。庭で選択をしている輝の隣で、僕も布団の敷布をごしごしと洗い始めた。誰よりも真っ
先に起きたのは輝で、僕や薫さん達が起きるまではひとりで稽古をしていたんだとか。『もし私達の寝起きを見られて たら、薫さんだったらあとで泣いてたし、左之助さんだったら怒ってたし。弥彦なら遠慮なく殴り飛ばしてたわ。……万 が一緋村さんなら、一生懸命弁解してたかも』って、さっき輝がそう言っていた。
登坂している最中の太陽から、龍也さん達が僕たちを煽動する。………夜の僕たちを見たかったのにな、って忍か
ら軽口が漏れたかもしれない。みんなの願いが過去形にならないで叶っていることが、とっても嬉しいんだよね。
「聖、羽織邪魔でしょ?脱いだほうが楽よ」
「あ、うん」
言われてみれば。羽織を脱いで身軽な輝にまたならって、僕も部屋で羽織を脱ぐことに。
「ごめんくださいっ」
部屋で羽織を脱いでいる最中、おセイさんの溌剌とした声が道場に澄み渡った。…本当におセイさんかな、って思
ったけど……やっぱりその声はおセイさんで。昨日と比べて、なんだか若くなったような気がする………あはは、僕 がこんな風に考えるのもいつも輝が傍にいるお陰かも。僕の笑顔が先に玄関へ泳ぎ出していた。
「はーいっ、今行きまぁーすっ!」
羽織を畳んで、おセイさんの待つ玄関へ僕は駆けていった。羽織がない分、僕はリスになった気分だった。
「おはようございます、おセイさんっ」
玄関に着くと、昨日のままで服装が止まっていたおセイさんがそこにいた。誇張された凛々しさは、今日のおセイさ
んには必要がなくて。…そういえばおセイさん、着替えも持たないまま斎藤さんの家で泊まったんだよね(仕方なかっ たけれどね)。それに、おセイさんはお医者さんだから。放っておけない患者さん?が、道場の中にいた。
「おはよう、聖くん。あの…緋村は………」
くすぶるのが、人。おセイさんが緋村さんの名前を呼ぶのに畏まったのは、服装と腰に下げた逆刃刀のせいじゃな
い。だけど、数日も経てば昨日縁側で話していたようなふたりに戻れると僕は信じている。立ち会いの時と比べれ ば、大人の気品漂うおセイさんが光り放っているから。
「あっ、緋村さんならぐっすりお休みになってますよ。薫さんがそっと寝かせてあげましょう、ってことで」
「…そうよね。緋村がすべてを請け負ったんだもの。……医者として情けないわ、緋村の手当てもせずにそのまま
行ってしまったんだから」
「まあまあ、おセイさん。僕たちより誰より、お医者さんのおセイさんの手当てがいちばん利きますよ、絶対。さあさ
あっ、上がってください。…あれ、僕が言うとおかしいですよね?…あははっ」
…ここは薫さんの道場だから、さも自分の家のように僕が言うのっておかしいんだけど……まあ、いいか。『自分の
家だと思ってゆっくりしてね』って、僕たちに薫さんが言ってくれたんだもの。好きだなあ、照れ笑いしている僕。
「…うふふっ。ありがとう、聖くん。…それじゃ、お邪魔します」
桜色の笑みがおセイさんに香り、僕にも笑顔が移った。昨日信じたおセイさんの笑顔は、初めて出会った時と同じ
おしとやかな笑顔だった。
「はは、かたじけないでござる。拙者、不甲斐ないでござるなあ」
「いいのよ、剣心。おセイさんも剣心も、もう済んだことなんだから。ね」
おセイさんに包帯を巻いてもらった緋村さんが縁側に座り、洗濯物を干している僕と輝、薫さんを見守っていた。腕
に包帯がしっかりと巻かれた緋村さんは、何となく僕と輝にそっくりで。髪を切って神爪の民の装束を纏えば、龍也さ んそっくりに見えるかもしれない。
「うん、これで終わりっ。聖くん、輝さん、どうもありがとう」
「ううん、いいんです。私、身体が素直に働きますから。寝坊できない体質なんですっ」
「それにしても…ほんとに弥彦も左之助もだらしないんだからっ。結局、聖くんと輝さんに道場のお掃除手伝ってもら
っちゃって…ごめんなさいね」
「いいんです、薫さん。僕、身体動かすほうが楽しいですからっ」
緋村さんの包帯代わりに使っていた薫さんのリボンが揺れて、竿にしがみつきながら空を遊泳していた。ほかにも
道場の外に向かってなびく洗濯物は、再会を待ちきれないのを代弁しているみたいで。石鹸のにおいとほのかな桜 の香りが舞い、心に空が取り入れられていた。吸って吐く息が食事以上に美味しくって。
「お待たせ。少し待たせちゃったわね」
「あ、そんなそんな。僕たちも丁度…………わ」
着替えを済ませたおセイさん。束ねた髪が、お医者さんとしての清楚な身なりを引き立ている…だけじゃない。……
…和服が似合うなあ、とおセイさんと出会った頃に思ったことがあった。僕の目の前に映っているのは、常盤色の着 物を召したおセイさんだった。…天女とはまた違う、しとやかなその出で立ち。………裾と袖がさらさらと揺れて、ここ にいますと誰かに居場所を教えていたような気がする。
「…あははっ……もう、聖ってば。…顔真っ赤よ?」
「え、えっ………?!あっ」
…………。輝がくすくす笑うのを横目に、僕は恐る恐る自分の頬に触れてみた。…あ、熱い………見事なまでに、
僕の頬が熟している。…ちょっと落ち着くんだ、僕。清楚と凛々しさが指を結んだおセイさん(あれ、こんなこと言うつも りじゃなかったのに)…を、見れば誰だってびっくりするはず………だ、だもの。
「…おセイさん、きれい……」
「うむ、左様でござるな」
…(え、案の定?)薫さんと緋村さんも、おセイさんの華やかさに溜め息を漏らしていた。着物が魅せる野草の清楚
さに惹かれ、蕾だった表情は笑顔に開花していて。僕の緊張が堤防の決壊よろしく崩れて、すとんと力が抜けて倒 れそうだった。…輝も今のおセイさんと同い年になったなら、僕が照れるくらい綺麗になるのかな。…その時は、遠慮 なく照れてみようって思った。
「…さてと、行かなくちゃ」
「…えっ、何処へですか?」
思いがけないおセイさんの言葉に、僕の本能が行き先を聞いていた。緋村さんと輝には予期しえたのか、うんうんと
首を頷かせている。判らないのは僕と薫さんだけ。…え、もう帰っちゃうのかな……?…確かに北海道で患者さんを 待たせているから、長居出来ないのかもしれないけど。
「…あっ。もしかして…お墓、参りですか?」
………あっ、そうか!薫さんの答えは間違いない。……昨日、帰り際に斎藤さんが手がかりをそれとなく教えてく
れたんだ。何故か薫さんの頬が色づいている。羞恥じゃない頬の色は、おセイさんと誰かの姿を…まるで、薫さんと 誰かに投影しているみたいだった。
「ええ、薫さんの言うように本当は…墓参りをするつもりだったの。…緋村、みんな。改めて…昨日はありがとう」
「いやいや、セイ殿の力になれて光栄でござる。ささ、本懐を済ませに行くでござるよ」
幕末の塀を乗り越えた笑顔が、とびきり眩しくって。うんと頷くおセイさんは、すずらんの花言葉に相応しいなあ…っ
て、わけもなく思う僕だった。
「…ええ。行ってきます」
「行ってらっしゃい、おセイさんっ」
輝をはじめ、僕たちに見送られておセイさんは歩き出す。…逢いたい人を感じられる場所へ向かうために。追風がお
セイさんの背を押して、せっかちに促していた。
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