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第17話 臨地実習
(りんちじっしゅう)
…自身の通う、大学の本学キャンパス隣接駅を過ぎ早20分。ちなみに、自身と由衣は本学内に所属する学科がな
いため、他のキャンパスへ通学している。
泥炭地を走るせいか、車内の揺れはお世辞にも心地が良いものとは言えず。併走する国道からは、大型トラックや
自家用車などに次々と抜かれてしまう。斯様な中、新十津川行の単行列車は定刻のダイヤを維持しひた走ってい る。
ボックスのシートには、自身のほか座る者もなく。また、車内も各ボックス席に一人という閑散とした雰囲気からも、
経営難のローカル線の様相を醸し出している。
「…ん」
耕耘の行われておらぬ景色を車窓から見遣りつつ、本日のスケジュールを確認する。石狩月形駅まであと3分とか
からぬが、一通りの確認程度であれば出来よう。
―――5月のゴールデンウィークも明け、本日は水曜日である。この学年にもなると、各病院や施設等へ1週間程
度の臨地実習が行われる。大多数の病院ならびに施設では、初秋から初冬にかけての実施である。しかしながら、 自身の実習先の施設では、施設側の諸般の事情から5月の上旬という、異例の時期に行われることとなった。
実習3日目の本日は先日と変わりなく、施設の利用者の方との会話や、レクリエーション活動の支援が中心であ
る。当初は職場内の雰囲気に適応できぬこともあり、それなりに緊張もあって若干会話や対応等に手間取る場面も 多々あった。しかし3日目ともなると、そろそろ順応する時期になろうか。
ちなみに、余談ではあるが将来は教育現場と連関する心理職を志望している。具体的に述べると、心理検査等を
行い結果の判定や解釈を行う、心理判定員としての就職を切望している。病院やその他福祉・教育施設等におけ る、その役割を本日も学ぶ所存である。
『間もなく、石狩月形です。お降りの方は先頭車両一番前のドアをご利用ください。運賃は――――』
と、自動音声による到着を告げる放送が流れた。新琴似駅から、およそ1時間10分強の所要時間であった。流石に
自身の自宅からでは通うこと適わず、やむなく由衣の自宅にて寝食をする身となっている。寝ぼけ眼ながらも自身を 見送る様は、なんとも………愛くるしく、愛おしいとは由衣の兄の弁であるが。
ガタゴトと一層けたたましい揺れと音を伴い、突如列車は左に振られた。ポイントの通過である。一段落したところ
で立ち上がり、運転士後ろのドアへ向かい歩き出した。
石狩月形駅からおよそ車で5分の所に、その施設は在る。施設が運行する送迎ワゴンに相乗りさせて頂き、通うの
であった。西側には阿蘇岩山、東には田畑の広がるという景観は室内の入口ホールからも見て取れる。
「おはようございます。それでは―――」
入口ホールと事務室とは硝子戸で簡易的に仕切られており、この場にて行われる申し送りの見学が毎日の日課と
なっている。其処では、宿直の職員から各利用者の方の状況等が伝えられ、介護福祉士、介護支援専門員(ケアマ ネージャー)、臨床心理士等の専門職がそれぞれの見地から意見を述べ合う。
無論、それだけに留まらずそれらの意見を統合して、各利用者の方への適切な対応をとる。各職の専門性が活か
される場は、端から見る限りはこの場のみであるように思える。実際、各職員が職務につく際は皆同様の職務内容 であるように見えよう。
しかしながら、よく観察を行うとリハビリテーション指導に勤しむ作業療法士、心理検査を行い結果を解釈することで
利用者の方の介護の方向性に寄与する臨床心理士など、専門性が無為になる場面は何一つないのだ。
職員一同が礼をし、事務室を後にされるのだった。
「伊秩さん、今日も多くの利用者さんとお話するよう心がけてください。今日のレクリエーションは昨日私がお話した
ように、カラオケ大会ですので午後から忘れずによろしくお願いします」
「はい」
「もしかしたら、一曲お願いしますなんて利用者さんからお願いされるかもしれないけれども、その時は歌ってくれて
いいですよ。恥ずかしいかもしれないけど、もしよかったらね。どうしてもあれだったらお断りしても構いませんから。… 余談なんだけども、私なんかよく演歌歌わされるんだけどもね」
はは、と互いに笑いあう自身と実習指導者の方であった。さてと、と仰いながら机上のファイルを手に取られる姿
に、必然と自身も学生から実習生という身分に変じていく。
「じゃ、お昼まで利用者さんとお話よろしくお願いします」
「はい。それでは、失礼致します」
と、指導者の方へ礼をし自身も事務室を後にしたのだった。
…それからおよそ約1時間30分後。傾聴と要約、感情の反映等がぎこちないものではなくなったと、数人との会話
を通し再認できたのだった。
入口ホールは利用者の方で賑わい、家族との会話や職員の方との会話、ある一郭では身体機能(歩行機能など)
回復のためのリハビリテーションに勤しむ方など。また、外の中庭で日光浴を愉しむ方の姿もあった。
利用者の方は女性が多く男性は少ない。こちらの利用者定員は50名で、うち男性が8名という現況である。
「はじめまして、おはようございます」
「どうも、おはよう。どこかの学生さんでしょ、お兄ちゃん」
「ええ」
田畑広がる素朴な風景を清覧できるベンチに腰掛けていらっしゃる、一人の女性に声をかけた。齢80頃と思しき、
パーマのかかった髪形の利用者の方であった。緑茶をお飲みになりながら、時の移ろう様を静観されているようであ る。外では珍しく、鳶が美空を遊泳するかのごとく旋回していたのだった。
「大学から実習に参りました、伊秩甲と申します」
「え、いじ…いちじ、さん?」
「はい、よく読みが難しいと皆さん仰られます。伊藤さんの"伊"という字に、秩父の"秩"と書いて"いぢち"と読みま
す」
「へえ、珍しい苗字でない」
「ええ、確かに珍しい苗字かもしれません」
「へえ、伊秩さんねえ。で、いつから実習に来てるんだっけ?今週からなの」
「はい、今週の月曜日から金曜日にかけてです」
「今日何曜か覚えてないんだけどもさ、まだ慣れてないんでないの?」
「そうですね、昨日あたりまではそうでした。今日になってようやく、皆さんとのお話やお仕事の内容に慣れてきまし
た」
「ああ、それはよかったねえ。で、実習って何やってるの?職員さんと同じこと」
「ええ、主に皆さんのお話をお聞きすることが僕のお仕事です」
「じゃあ、他の人ともそうして話してきたの」
「ええ。もし宜しければ僕への人生のアドバイスや、忘れられない思い出のお話などお聞かせ下さると嬉しいです」
「え、何でもいいの」
「ええ、何でも大丈夫ですよ」
「うーん。そうだねえ…」
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