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第20話 企業機密 (きぎょうきみつ)








 「……あーあ、終わった終わった。じゃ、寝るか」

 と仰られて、辰巳さんはソファで横になられたのでした。玄関のドアを閉めたのちわたくしは手を洗い始め、心身とも
に煤けた想いを祓います。…やはり、気の晴れることはありません。鬱々とした曇天が、目を瞑ればわたくしの脳裏
に現れるのでしょうか。

 「…っておい、蛍。おめえ高校に戻らねえのか。って、普通有り得ねえんだろうがよ」
 「…ええ。早退届を提出致しましたので、本日は止むを得ません」
 「ふーん」

 蛇口を止め、ユーティリティからリビングに入ります。レコーダーの時計を見ると、時刻は2時をまわっておりました。
…非実力派の刺客と交え、帰路の途中で昼食を頂き、そしてこちらへ戻るまで述べ2時間ほどでした。…まるで半日
が経ったかのように、私の身体が重く感ぜられます。ようやく、眩暈が表れたようでした。
 ソファは辰巳さんが使われていらしたので、わたくしはテーブルの椅子へ座ることとしました。…学生服から私服に
着替えるまで、暫し時間を要するでしょう。

 「…しかし、何故」
 「…んっ、なんか用あるならぼそぼそ言うんじゃねえっつうの」
 「あっ。…申し訳ございません」

 …思わず、独り言を漏らしていたようです。疲れのせいでしょうか、掠れ声も相俟ってわたくしの自制力は衰えてい
ると自認できます。…胸の内に杭を打たれたかのような、疼く痛みも心で感じておりました。お母様との軋轢は斑消
え始めている以上、そちらで思い悩むことはございません。寧ろ、わたくしをかすかに苛む根本は。

 「…何故、わたくし達の個人情報があちらに……非実力派に漏洩したのでしょうか」
 「俺が知るかって。ま、ハッキングでもすればどうにでもなるんじゃねえの。あとはスパイっつうか…ま、おめえ風に
言えば内通者がいるかもしれねえぜ?」
 「…まっ、まさかそんな。岡部副社長や白鳥様方が内通者であるわけなど―――――
 「だからよっ、俺が知るかっつうの」

 気の逸るわたくしを、辰巳さんは制されたのでした。…たとえ否定的な向きであっても、辰巳さんの憶測はあくまで
可能性に過ぎません。有り得るはずは無いと、わたくしも確信しております。白鳥主任や長門さん、そして岡部副社
長のお言葉は決して裏切ってなどいないのですから。

 「ま、疲れてんならおめえもさっさと着替えて寝ちまえ。な」
 「…はい」








 …………。
 ………………。


 サックルの地下室では、ワークデスクの椅子に座ったきり寡黙な白鳥氏と長門氏の姿があった。互いに右斜め前を
向くならば対面することになるものの、どちらも前を向くのみにとどまっている。お世辞にも岩清水と呼び難い汗が、白
鳥氏の額から流れては拭う…という所作のみが目立つほかは、果たして互いに生気は感じられようか。

 「ったくまあ、何でんなことになるんだかなあ」

 誰を咎めるわけでもなく、白鳥氏は苦し紛れに洩らしたようであった。岡部氏・白鳥氏・長門氏に関しても然ることな
がら、我々5人についても非実力派に漏洩していたという事柄。我々にも、彼等にも驚倒は等しく波及していたのだっ
た。

 「…もっとも、こちらの部署に配属されて以来薄々感づいてはおりましたが」

 …白鳥氏を視野から外し、基礎の柱を見遣りながら長門氏は洩らした。こちらもやはり、誰に宛てた言葉でもなかっ
たろうか。

 「…長門。まさか俺か副社長か社長かが、はたまた他の奴が内通してるとかって言うんでねえよな」

 汗ばむ手を拭き終え、目を合わせぬ長門氏に白鳥氏は向き直る。依然として、長門氏は柱を見遣ったままであっ
た。

 「…それは定かではありません。疑念を抱いた契機は今回の件ではなく、先に申し上げた通りです。特撮番組の真
似事を生業にして、何処の何方が顧客になり得るのか。無論、それの嗜好層ではないのですから」
 「………………」
 「…それすら分からぬ部署があること自体、疑念を抱いても至極当然と言えるかも判りません。……それでも強い
て言うならば、おそらく――――――
 「ああっ、もう言うな言うな。じゃ聞くが、おめえの言うンな所で何でおめえは働いてんだ?あん?」

 …白鳥氏の苛立ちに傾聴しつつ、吟味した後長門氏は口を開く。

 「…低次で言えば、未智を養うためです。高次で言えば、道内経済の振興のためです。そして、零細である我が社
の拡大…の、ためと考えております」




 「…早いものだな。……実に性急、か。惣一郎にも伝えねば」

 …メールソフトを終了させ、壁紙の映るパソコンのモニターを凝視する岡部社長。やがて腕を組み始め、瞼を閉じ考
え込むようであった。…噛み締めた唇に眉間に皺を寄せた表情は、7年先の生老ゆ姿を否が応でも見せ付けていよう
か。

 「…!?」

 出し抜けに、ドアを荒々しく叩く音が社長室にこだました。怒髪天をつく猛獣が今にも打ち破らんとするほどの、破天
荒な振る舞いであることは明白であろう。

 「…誰だ」

 必然と、社長の目元は切れ目にならざるを得ず。第一声が鍵であったかのように、ドアは乱暴に開け放たれ…何者
かが、転け入らんばかりの勢いをもって駆け込んだのだった。

 「…どうした、惣一郎」

 怒髪天を突く猛獣を狙う猟師の目をもって、社長は岡部氏を見据えるほかないようであった。…実際に岡部氏の頭
髪は逆立つように見え、表情も獰猛なそれであった。眉間の皺はまさに、親子ともに相違は認められず。

 「どういうことだ、父さん!?彼等の御家族や親戚にも、被害が及ぶかも判らないぞ!」

 威嚇を意図しないにも拘らず、平素の岡部氏からは見て取れぬ…吠え付く声音である。

 「何の話だ。筋道立てて話をしないと判らんぞ」

 無論、動じることなく社長はあしらう。ともすれば、猛獣を宥める一言であるかの如く。

 「…何故、彼等について非実力派が知っているんだ!?父さんもモニター越しに聞いただろう。………あれは看破
でも何でもない、既に聞き知ったかの口ぶりだったぞ!」

 単刀直入かつ畳み掛ける言動に動じず、岡部氏の飛ばした頬の唾を社長は渋々拭った。

 「……では聞くが、何故俺を疑う」
 「……………!それは―――――

 …初めて、岡部氏の怒髪天を突くその表情が崩れたのであった。滾っていた筈の汗は、岩清水の冷や汗へと変じ
たかは測り知ることは出来ない。社長にとっては意表でないそれは、岡部氏にとってまさに突かれた境地であったの
か。

 「―――――俺を疑るならば、論拠があるならば話せ」
 「……………」

 暫し唇を噛み締めた後、俯いたまま岡部氏は言葉を続ける。

 「…俺とて信じたくはないさ。こちらへ戻るまで、他の要因を考えもした。内因であれば、社内に内通者が存在する
か」
 「……………」
 「外因であれば、社内のパソコンに非実力派が侵入しデータを盗み見たか」
 「……………」
 「…行き当たる先が父さんであることは、信じたくなど無いに決まっているだろう。10年以上にわたり非実力派の監
視を行い、奴等の行動計画を悟ったからこそ7年かけてメイルの開発を行ってきた。だが―――――
 「―――――何を言いたいのだ、惣一郎」



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