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けいみん
「うーん……気持ちいいなあ………」
「気持ちいい、オレ、同じ!」
無垢な色をした川沿いの温泉から、ぶくぶくと湧いている泡。くしゃくしゃにくたびれたしゃぼんを割ったり、張りを戻
してみずみずしくしたり。こうして浸かっていると、僕の腕も脚も……五臓六腑までもが、鋼から弛緩して平生に休ま ることを忘れていたんだなあ、って気付かされる。もうもうとした湯気が緊張をほぐして、溶けた鋼を蒸発させている。
久しぶりに入る温泉は心の振幅を大波に広げ、さながら揺り篭に乗っているみたいで。揺られた分だけ、僕の身体
は今の季節に相応しくなる。きっと隣にいる雷太くんも、向こうの女湯に入っている紫乃さんと輝もだよね。…蜜柑の 安堵が風伝いに香ったのは、僕の気のせいじゃない。
今日、僕と輝は雷太くんや紫乃さんと一緒に追い剥ぎ退治を手伝った。今十勇士を抜け、俗世から離れて暮らして
いる幸吉お爺さんと紫乃さん、雷太くん(あ、あのお猿さんも)。僕たちは西へ向かう途中、紫乃さんと雷太くんはお使 いの帰りだった。お家まであと二日はかかるんだとか。
時々は御庭番衆の皆さんや警察と協力して、地方の山賊や悪い人達を捕まえるお仕事をしているんだって。丁度
今日のように。…ということは、お使いはついでみたいな感じかな?…あ、でもどっちがついでなんだろう……?…… まあまあ、とにかく効率がよくて賢いなあって思う。……あはは、余計?なこと考えるから僕って輝に笑われるのか な?
「今日、お前、強かった。オレ、お前、羨ましい。オレ、強くなりたい。どうするんだ?」
…強くなりたい。心中で間が抜けていた僕をよそに、爛々と輝く瞳を月に代え雷太くんが真剣なまなざしで僕に訊い
た。うーん……両手の人差し指と中指をこめかみに当てて、目を閉じた僕は僕の頭を旅してみる。……死んだ僕の父 さんや、龍也さんにみっちりしごかれていた頃が懐かしいなあ。……気迫がないって、よく怒られていたっけ……… あ。僕ひとりならいいけれど、雷太くんの前ではどうしても通れない道があった。
………でも、本当の強さは自分の弱さを包み隠すためにあるわけじゃないと思う。…本当に、こういうことでいいん
だと思う。…僕、うまく言えるかな?
「うん、雷太くん。…えーと…雷太くんは紫乃さんのこと、えっと…紫乃さん、好き?」
…努めても、僕の声は火傷していた。…雷太くんが見えていたのに、湯気が僕の頬を見せまいと羞恥で覆ったか
ら。…違う道で遠回りしようとも、僕の頭が考える先はやっぱり……うん。ひとりきりなら嬉しくて、誰かがいるとなん だか恥ずかしい。
「ウン!オレ、紫乃、好きだ!それで、強くなるか?」
「…えっ」
僕の恥ずかしさを、雷太くんがあっさりと吹き飛ばした。小声で僕が漏らしたことを、雷太くんは気付いていない。予
想外の答えだったとか、僕が紫乃さんを嫌いってわけじゃないんだけど………強くなりたいと切に願う僕自身の気持 ちを、代弁してくれていたように思えた。…本当に、簡単なこと。雷太くんの返事は紫乃さんへの想いなのに、僕の胸 が嬉しさできゅっと疼く。…難しいようで、簡単なことを僕にはきはきと言える雷太くんは強いなあって思う。
「…?お前、顔赤い。なんでだ?」
「…えっ?!」
僕と雷太くんのほかに誰も入っていないのに、この場にいるはずのない…えーと……蜜柑の安堵からふっともれる
ため息が、僕を錯覚させていた。…ああ、好きってこういうことなんだけど…………僕が蒸発しちゃう、雷太くんの前 で有り得ない恐ろしさが僕の血潮を面白おかしく駆け回っていた。…もしや、空から龍也さんや忍にも覗かれている のかも?
「いや、その、えーと…う、ん。た、た、ぶん…お…ん泉に入り…過ぎ…たああああああああああ……っ!」
……………………。
…ばっしゃ〜ん…。
……………………。
「おい、お前!大丈夫か!?」
水しぶき(…じゃなくてお湯しぶきかな?)が神隠しよろしく、雷太くんの視界から僕の姿を消した。…とほほ。ごま
かそうとして温泉から上がろうとしたら、ぬめりに足を滑らせて見事ひっくり返り溺れた僕。口からぶくぶく漏れてる泡 がはじける度、恥じた時間を輝に笑われてる気がした。……好きだけど恥ずかしいなあ、あたふたしすぎる僕。
「…でも、お前、面白い」
…あはは。雷太くんの言う通りかも。
「…ありがとう、雷太くん」
「オウ。オレ、ちょっと、力持ちだ。気にするな」
のぼせた僕を雷太くんが部屋に運んでくれたおかげで、僕は一命を取りとめた(…なんて言うと大げさだね)。朦朧
としていた湯気の意識が元に戻るまで、いつの間にか僕は浴衣を着せられ布団に寝かされていた。心の蒸発で遁走 しそうになっていた僕を、輝がうちわで扇いでくれている。鋼の元となる強さの種が植え直されるのと一緒に蜜柑が 香り、淡かった視界がきりりと引き締まっていく。
…なんでもない病気をまだ病気だって、重箱の片隅で思っている僕はまだまだ若木には遠い…かな。うん、でもさ
っきは仕方なかったけどね。わざとじゃないんだし、格好悪い僕も包み隠さず見せられるようにならなくちゃ。
「…うふふっ。雷太に助けてもらってなかったら、茹蛸になった聖を私が食べてたわよ」
「紫乃。のぼせたら、蛸、化けるのか?」
「うふふ、冗談でしょう。温泉やお風呂に浸かりすぎ、顔が赤くなるのをさしてそう呼ぶのですから」
「ふーん、そうなのか?」
さながら、輝は僕を料理している気分なんだろうなあ。僕を気遣いながらもくすりと微笑む紫乃さん、温泉にずっと入
ってると蛸に化けちゃうのかなって、半信半疑で僕を見ている雷太くん。輝の喜怒哀楽は、後ろの紫乃さんと雷太くん には見えない。脚を崩して扇いでいる輝は、僕の案配と嬉しさで頬と笑みが熟れている。僕を想い火傷しそうになる と、ぷうとかすかに膨らませる頬が僕の目に…馬鹿…って、控えめに訴えていた。
「…あ、あの。紫乃さん、聖の面倒はあと全部私見ますから…えっと、好きにしちゃっててくださいっ」
少しどもったのは湯上がりで頬が紅潮してるからなんです、と僕が理由じゃないといわんばかりに輝が後ろの紫乃
さんに言った。蜜柑に色づいた輝の頬は僕にしか見えていないけれど、同じく見せまいと何となく必死のようだった。
「…ええ。聖さん、お大事に。さあ雷太、行きましょう」
…やっぱり、わかるよね。ここの御宿は三人以上の部屋はなくても、部屋割りと…後ろを向けない輝に、蜜柑色に
頬をはじめ全身がのぼせた僕を見ていると。行灯の火も、羞恥で本来の役目を果たせずにどぎまぎと揺れていた。 …やっぱり、心を映す鏡なんだよね。
「アイ!お前、明日、元気。絶対だ!」
「…うん」
手を振る代わりに、僕は首をうんうんと頷かせて紫乃さんと雷太くんを見送った。さあ、どうぞ…と、気兼ねを排した
障子の閉まる音が輝を開け放ち、割らずにいられなかったしゃぼんを破った。ただただ、愛しさが飛び散って。薄い掛 け布団をはらい、僕の戻り具合を知るべく輝も寝転び…頬の熱さと頬の温かさを確かめ合う。
「…うふふっ。いつものことだけど、私か女の人の話でまたのぼせたんでしょ?」
「…ああ、わかった?…ごめん、輝」
僕のこそばゆい声が輝の頬をくすぐり、ふたりでいることの愛しさに恭順したくなる。やっぱり、背中に手を添えたの
は輝が先だった。楕円を描いて撫でるせせらぎを、今日も僕は聴く。好きなんだから失笑はよしなさいよって、耳へた しなめずとも輝の手から…頬から血潮の循環が伝わってくる。
「…聖の初心なところ、私ずっと変わって欲しくないし…私も変わりたくない。時代が流れうつろっても、聖を好きって
ことだけは絶対…うふふ、変わるわけないわよね。だって、好きなことに理由つけなくたって私…好きなんだもん」
僕が僕足りえるか、今度は人差し指の先で僕のこめかみに渦を広げる輝。しゃぼんの繊細な張りを探し、僕の了承
を心待ちにしている。…愛しさをひとりじめしないでよ、と浴衣越しに輝との熱の違いを僕はもう一度知る。それぐらい 聖を想えればいいのに…輝の羨望が熱伝いに囁く願いを僕は聴いた。…うん、今ここにいる僕はもう『病気』じゃな い。
「…聖っ。…しよ?」
…塩辛そうな言葉だけど、蜜柑の味を分けあえる…接吻。輝がいつものように僕に呼びかける。…うん、いいよね。
きれいに彩られているうちに。胸がこそばゆいうちに。
「…うんっ」
輝の口元をかすめた僕の返事が、僕自身のしゃぼんをはじいた。ふたりの頬擦りが産む夢路は、僕たちの安眠を
約束してくれる。触れ合うこそばゆさは、綻ぶ笑顔から至福の光を仰ぎ見る。行灯が赤らめたのを確かめ、僕と輝の 頬は至福を目指して歩み出し…安堵を見つけた輝の手が、背中からふわりと僕の頬に舞い降りる。…うん、大丈夫。
…とくん、とくん。と…くん。とくん。とくん。僕たちの息吹は二人三脚。…うん、好きって………
……………。
高く、低く。
深く、浅く。
強く、弱く。
遅く、速く。
愛し、恋し。
……………。
…こういう、ことなんだよね。だから、僕は強いと思える。まっすぐでひたむきに灯る僕の行灯を、純真で気高く灯る
輝の行灯を並べるだけじゃ勿体無いから…暖かさに、触れてみる。心地よさに、燃え移ってみる。季節を問わない、 とこしえの僕と輝の温もり。僕と輝の唇が結ばれ、ふわり、ふうわりと俗世を蹴って夢路に飛び上がる。
…うん、やっぱり………浴衣と枕、布団に……僕のお向かいさんで、おかっぱ頭で、小さな頃からずっと一緒で、蜜
柑香しい輝のほかはぼやけていても構わなかった。…だって、輝が好きなんだもの。幾度となく、一緒に寝るのが僕 は大好きでたまらない。
「ひじ…り…」
「…ひ…かる」
すうと息を取り入れ、もう一度大きく夢路の羽を広げる僕たち。………登りつめると、今日も長老に忍…龍也さん、
僕の父さんと輝の母さん。みんなが………心の帰郷を待ちわびていた。安らかな心を映す行灯に見送られ、今日の 僕たちを話し合える場へ。
さあ、おやすみ。さあ、おはいり。…ああ。変わらぬ、違わぬ温もりは…うん。互いに、 確かに…こそばゆい。
…………………………。
…長老、忍、龍也さん。…今日のお題は何ですか?…僕たちの、思い出話…ですか。
うーん…そうだなあ………僕と輝が旅を続ける中で、おセイさんやみんなとの出会いや再会の中で、『好き』が育ま
れて一線を越えた『好き』、を意識し合いだした頃のお話でいいですか?…それじゃあ………。
ある早朝に僕と輝が洞窟で稽古をしていると、一生の差し迫った悲鳴が聞こえたこと。
里へ駆けつけてみると、胸ときめく青空にゆらゆらと陽が立ち昇っていたこと。
朝焼けがきれいなのに、どうして叫び声が聴こえたのか不思議に思ったこと。
夢から現実に視線を直すと、家や木がごうごうと燃えてむせび泣くのが見えたこと。
ただごとじゃないと思い、まっしぐらに長老の家へ飛び込んだこと。
覚悟を決め旧来の縄を解く時が来たと、意を決して長老が僕たちの変革を促したこと。
僕たちの生き方は時代遅れなんだと、目の前でまざまざと見せ付けられたこと。
理性と本能が仲違いして、勇気があっても立ち向かえず逃げてしまったこと。
時代に恭順しきれない僕たちや龍也さん、忍に例外なく追手がかかったこと。
みんなの未来を僕たちに託し、正面切って災禍に飛び入った龍也さんに甘えたこと。
理性と本能が駄々をこね、戻ろうとする僕のなまくらな勇気を忍が引き止めたこと。
逡巡する暇はないんだと、追手に進路も退路も阻まれ終焉を促されたこと。
ただ死にたくない、実はその根底が別だったのに気付かず戦っていたこと。
傷ついて意識のない輝を、傷ついた忍が薬草に命を託す光景を目の当たりにしたこと。
ひとりひとりが死ぬ度に、みんなの悲愴が重くのしかかってきたこと。
みんなの総意を訴えるため、助けを呼ぶために輝を背負い泣く泣く里から逃げたこと。
どうしてこんなに僕は泣いているのに、炎を消せないんだろうと思っていたこと。
どうしてこんなに僕は泣いているのに、涙はこれしか出ないんだろうと悔いたこと。
それでも今は、何処でもいいから輝をお医者さんに連れて行こうと必死だったこと。
町中でヤクザの人達に絡まれていた所を、緋村さんが助けてくれたこと。
目を覚ました輝が、里のみんなやあまつさえ僕のことまで忘れていたこと。
僕を追手と間違え、みんな殺したくせに…って激情と悲愴を僕にぶつけたこと。
恐ろしさと命の危険を察し、輝が僕の前から一目散に逃げ出したこと。
僕の弱さと過ちを責められたかのように、その場で僕が泣き崩れてしまったこと。
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