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いつも いつでも いつまでも




 空高く、いくつもの枝が万歳をしているたった一本の大木。そのうちのひとつの志逞しい枝に(みんな太くて逞しい
枝なんだけどね)、輝が座って膝の上で頬杖をついている。僕たちの大先輩の頼もしさは、ここ一帯に広がる水田の
看板…なのかも。稲と大木の木の葉が心置きなく、誇り高くそよ風に揺れているのが何よりの証拠。
 風の見聞は、田んぼや龍也さん達の棲む青空に運ばれ……誉れを更に身近に教えてくれる、蝉時雨の季節。蝉
は僕たちと同じように…ううん、僕たち以上に盛夏を謳歌している。


 「聖、できたのっ?」
 「うん、あともう少しだよ」


 で、僕は何をしているのかというと………




 先週、僕と輝はある絵描きさんに出会った。その絵描きさんが描く絵は、時の止まらない景色と人達をぴたりと止め
たように見えて、今にも絵の中で景色と人が動き出しそうだった。津南さんの描く絵草紙とはまた違う、命が吹き込ま
れた西洋画だった。絵描きさんのちっちゃな息子さんが飛ばした、その竹とんぼの絵が本当に動くんじゃないかって
思って…いろんな角度から見回した僕を、輝と絵描きさんは面白おかしく笑ってたんだっけ。

 僕に才能があると見込んでくださったのか面白半分だったかは判らないけど、何十枚の紙と絵画用の木炭、それに
小さな画板を頂いた。…絵描きさんのお仕事をはたから見ていただけなのに(描き方も少し教えてもらったけれど)、
僕の描く絵も水田のように景色をそっくり描き写していた。初めて描いたのは…夏蜜柑だったんだけどね。




 …こうして、木登りした輝の絵を僕が見たままに描いている。…ううん、それ以上かもしれない。蜜柑の木でもない
のに、輝が木に寄り添えば芳醇な実が僕の五感を、特に口の中が…うん、好きってこういうことなんだけど…ね。ちゃ
んと輝のこと、描かなくっちゃ。僕に映る輝は、夕暮れ時に木を愛でる蜜柑の精みたいだった。羽織が風に手を引か
れ羽衣に仕立て上げられたのは、きっと龍也さんや忍が僕をからかっているから…なのかも。


 「…あっ。ねえねえっ、聖…あれっ」
 「えっ…?あっ」


 脚を組んだ輝の視線の先に、風と遊びながら輪舞している竹とんぼふたつ。…うーん、やっぱり競争してるのか
な?どっちが先に僕たちの元へたどり着けるか、僕と輝を目がけてまっしぐらに流れているから。ふたつとも、木陰で
羽を休めるために僕の足元に落ちてきた。

 「ねぇ、そこのおにーちゃん!竹とんぼ取ってぇ〜!」

 竹とんぼが飛んできた道から、ひとりの男の子が僕のことを呼んだ。ふと横を向くと、竹とんぼを追いかけてみんな
が一生懸命に走っているのが見える。五人のちっちゃな男の子にふたりのちっちゃな女の子が、風の子になって竹と
んぼと同じように競争していた。

 「あ、うんっ!」

 手を振りながらみんなにお返事をして、僕は休憩中の竹とんぼをそっと拾った。

 「あ、やだ!聖っ!」
 「…え?あああ〜っ!そんなぁ!」

 …僕が竹とんぼを拾っている間、画板に飽き飽きしていた紙があかんべいをしてひらひらと気ままに空を舞ってい
た。あわてて後ろを振り向くと、適材適所から放たれた紙は僕の手には届かない。ああ、画鋲で張っておけばよかっ
たのになぁ………

 「…もう、折角聖が描いてくれてたのにっ」

 僕の憂いも束の間、傍観しているだけの大木を一時だけ見限り、輝が跳躍して飛んでいった紙を捕まえてくれた。
輝の纏う羽衣が、孔雀に生まれ変わった瞬間を僕が見届ける間もなく、輝はとんと軽やかに着地した。わあっ、と僕
のところにみんなが来てくれたのもほぼ同時だった。…いけない、輝に見とれてる場合じゃないよね。

 「はい、これっ」
 「おにーちゃん、ありがとっ!」

 ふたつの竹とんぼを持った右手は優しく男の子に手渡し、左手はちょっと照れくさくて思わず僕は頭をかいてしまっ
ていた。悪い癖だけどいい癖よね、って輝は言ってくれるけど。みんなの嬉しさとこそばゆさを分かち合ってる僕の笑
顔にきっと、輝は惹かれるのかも(…なんていうと大げさ…かな?)。

 「聖、はいっ」
 「あ、ありがと、輝」

 左手でそのまま、描いていた紙を輝から後ろ手に受け取った。情けない左手を元に戻してもう一度その絵を見直し
てみる。…うん、あとは蜜柑のきめ細かな繊維を束ねた輝の髪を一本一本描けばできあがり…だね。木炭だけで白
黒の濃淡しかついていなくても、僕が見上げた大木と輝の絵は秋にも夕暮れ時にも、時を二人三脚で歩いていく。

 「ねえねぇ、おにーちゃんとおねーちゃん何してたの?」
 「うん、僕この木とお姉ちゃんの絵を描いてたんだよ。…僕、上手に描けてるかなあ?」

 思わず掻きそうになった左手を咄嗟に戻して、僕の拙作をみんなに見せてあげた。風景や輝をそっくりに生き写しす
るだけじゃつまんないんだろうなあ……と思ったけど、杞憂みたいだった。あたかも大木と輝が絵の中で息吹いてい
る、初めて西洋画を見た僕と同じときめきがみんなの目や顔に映っていた。特に原石だった女の子ふたりの瞳が磨
かれ、金剛石や真珠に輝く感動はあまりにも僕にはまぶし過ぎて。

 「ねっ、このお兄ちゃん上手でしょ?この前絵の描き方覚えたばっかりなのに、すごいわよねっ」

 心持ち、輝の頬が盛夏と熱を並べていたような気がした。顔は自慢げだったけれど、内心では僕が描いた輝の絵を
見られるのが恥ずかしい…のかな?

 「おねえちゃんいいなぁ。ねえねえ、おにいちゃん。あたし達の絵も描いてくれる?」
 「うんうんっ、みんなの分僕描くよっ」

 僕の描く絵でみんなの原石を磨くお手伝いをできるなら喜んで。自然と僕も、童心に還ってうんうんと首を頷かせて
いた。やったぁ〜、と歓声をあげて男の子のみんなも、女の子ふたりのように翡翠の眩しさを光放っている。それだけ
でも、僕の思い描く蝉時雨の盛夏に深緑が彩られていく。…さあ、みんなの絵をどうやって描こうかなあ…………。


 跳ぶ、跳ねる、駆け回る。見上げる、喜ぶ、笑う。輝やみんなの、いろんな一切の動きを僕の瞳が見たままに紙に
焼き付けていく。男の子の将来を見越した逞しさ、女の子の先を思い描く凛々しさを、嘘偽りなく純真に焼き付けてい
く。絵を描いている間、目をつぶって時を止めて思い浮かべることは僕は決してしなかった。
 僕の思いだけに縛られないで、ありのままのみんなを描きたいから。細く、太く。力強く、優しく。淡く、濃く。木炭が
紙の上を滑ると、擦れる熱が絵に命の芽生えをさりげなく教えてくれる。風景やみんなが描かれるに連れて、紙が僕
の小窓に色づいていく。いつか、里の僕たちの家から見えるありふれた日常になればいいなあ、とささやかに祈りつ
つ。
 …うーん、これでいいかな?竹とんぼを飛ばす男の子の周りに輝や女の子がいて、竹とんぼを追いかけている男の
子のみんなが走ったり跳んだり。夏風を纏いトンボになりきる竹とんぼが、絵から飛び出しそうなほど飛び切り大きく
羽ばたいている。ささやかな幸せを愛でるかのごとく、空にさりげなく陽やうっすらと雲をたなびかせてみた。…もうち
ょっと風の流れを描き足せばよかったかなあ?
 でも、風は竹とんぼが描いているようなものだからね。龍也さんや忍が一緒に手を繋いで遊んでいるから、トンボに
なりきれているんだよね。…みんなの後ろでリスが空を見上げ、カラスが竹とんぼを見下ろしている姿に僕は気付い
ていなかった。

 「おにーちゃん、できたぁ〜!?」
 竹とんぼをお迎えした男の子を先頭に、みんなが僕を心待ちに駆け寄ってくれた。
 「うんっ!ねえねえ、これも上手に描けてるかなっ!?」
 「…うふふっ」

 僕も待ちきれなくて画板を首にぶら下げたまま風を押し退け、みんなの下にはせ参じてしまっていた。向かい風に
白い目で見られた僕の鉢巻が、おっかなびっくり震えながらしがみついていたかもしれない。…あ。みんなより輝の
笑い顔が大人びてる。

 「…わぁ、すっご〜い!あたし風の子みたぁい!」
 「あ、オレ、トンビみたいだぁ!」

 いいなあ、十人十色って。みんながこの絵に燦々と照らしてくれる陽は、金剛石や真珠に、翡翠だけじゃなかった。
鼈甲に珊瑚、瑪瑙や琥珀、瑠璃………いろんな色が色々、色をつけて彩りを魅せている。みんな同じ色だったり、色
づきが少し違ったり………僕の観念を少し遠慮がちに描いていたせいか、白や灰、黒の濃淡は想像豊かにみんなへ
色づいていた。僕の絵じゃなくて、これは僕たちやみんなの絵。…うーん、綺麗だなあ………。…あ、そうだっ。

 「ねえねえっ。この絵、みんなにあげるよ」
 「え〜っ、ほんとにっ!?ありがとぉ!」

 さっきまで誉れ高かった右手で、僕が覗いたみんなのひと時を竹とんぼを持った男の子にそっと手渡した。…あわ
よくば、僕がここから覗いた窓を誰か継いでくれるといいなあ…なんて思ったり。

 「あっ、かーちゃんっ!」

 僕と輝の後ろから、みんなのお母さんが帰ってきたみたいだった。ご挨拶をしようと僕と輝が振り向くと…

 「……!!」
 「…あっ!こっ………ん、にちはっ…」

 ……本当の『こ』のあとを紡ぐことが、何故か憚られてしまった。………みんなのお母さんのこと、僕は忘れもしてい
ないのに。………あの時は安否を気遣う間もなく、ただ輝を背負い緋村さんと石岡の洞窟を出ることが精一杯で……
…。………生きている喜びに、煤けてしまった出会いに僕の心は繊細に色づき始めていた。今はきっと、みんなのお
母さんとして幸せに暮らしているんだよね。
 でも、小糸さんは………僕たちを見るなり………季節の色が褪せ、心のしゃぼんは冬木立に翻弄されて寒さに震
えているみたいで。薄氷に覆われた心身は、暑気を厭わずただただ小糸さんを悴(かじか)ませるだけのようだった。
怯えるしゃぼんや小さく息を呑んだお母さんのことは、みんなは気付いていない。どうしても、僕の目は小糸さんに向
けることができず…目線を手に提げた籠に照らすことしかできなくて……。

 「…うふふっ。もう、聖ってば………年上で綺麗な女の人を見るとすぐにこれなんだものっ。ねっ、お兄ちゃん面白い
でしょっ?」
 「…?!え、えっ……?」

 唐突な輝の言葉に、ただ僕はどぎまぎするしかなかった。輝に悪戯半分で微笑みながらつんつんと僕の頬をつつ
く。あからさまにしゃぼんを割りたいのを堪える代わりに、僕の胸をきゅっと疼かせてみると…硝子でもあったしゃぼん
が起伏に色づき、またしても僕の左手は季節を先走った。

 「あーっ、おにーちゃんかーちゃんのこと好きなんだぁ!」
 「え、あ、いや、えっとね、ち、が、ちち、違うってばぁ…!」

 …輝の一言に、救われた気がする。みんながげらげらと笑う中、僕も照れ笑いで気まずさから遁走していた。…あ
ーあ、恥ずかしくてまた頭を掻いちゃってるよ。みんなの笑顔に小糸さんの目元と口元が氷解し、あどけなさや無邪
気さに惹かれ…辛うじて初秋まで微笑みを引き返していた。それでも小糸さんの紅葉色の着物は、色を摩り替え陽
炎の障壁をもって僕たちの歩み寄りを許してくれなかったけれど。




 「これね、あのおにーちゃんが描いてくれたんだよ!」
 「…まあ、お上手だこと。……折角頂いたんですから、大事にするのよ」
 「うん!」


 「…しかし、お前等とまた会うとは奇遇だな。どういう風の吹き回しなんだか、勘繰りたくなるがガキ共の前でしかめ
っ面もできまい」

 外から、僕の描いた絵を小糸さんに自慢する男の子の声が高らかに盛夏を謳歌していた。…だけど、家の中でお
話をする僕たちと百鬼さんの表情は険しかった。額や背中から流れる僕の汗に、やり場のない憤りが爪を立てて昔を
えぐっているように思えてならない。
 輝は百鬼さんとは面識があるみたいだけど、僕は百鬼さんと会うのは初めてだった。その頃は僕、緋村さんと工場
の内情を探っていたから。…たぶん、小糸さんと同じく穴山さんの下で働いていたのかもしれない。心の琴線を引きち
ぎってはいけない気がして、輝や百鬼さんに何があったかを僕は聞けなかった……ううん、聞いてはいけなかった。
 …正座をしてさほど時間が経っていないのに、足の痺れが僕を呵責する。小糸さんの怯える顔を見たときから悟っ
てはいたけれど……僕の絵をこんなにみんなが喜んでくれているのに、今はとても居心地が悪いような気がするなん
て………。僕、みんなのこと大好きなのに…………。

 「…俺の療養先だった診療所でな、身寄りのねえガキ共が押しかけてきてよ。食いモンが欲しいって、毎日のよう
に医者にねだっていやがった。その度に患者のほかにやる飯はねえって、追い返されるこいつらが不憫に思えてな。
小糸から真田様や穴山様が死んじまったと聞いてから、浮浪の身だったこいつらを引き取ることを決めた。無論、小
糸も快諾した。で、こうして辺鄙な農村で半ば俗世を忘れガキ共や小糸と暮らしてるわけだ。…ま、これは建前だが
な」

 ため息交じりにこれまでのいきさつをしみじみと語る百鬼さん。…今の生活への安堵は、決して僕や輝に向けられ
たものではなかった。

 「…四乃森蒼紫だかっつう兄ちゃんにやられてからは、俺の夢もくそも失せちまったわけだが。………俺等や穴山
様、真田様の行いが悪あがきだったとは言わねえ。だが、ガキ共が安泰に暮らすには乱世はいらねえさ。どうすりゃ
四六時中といかなくとも、笑って生きていけるんだか……小糸を見りゃ一目瞭然だったろう?少しでも甘えられる大人
が必要ってわけだ。初めのうちはなつきもしねえが、半年も過ぎれば俺や小糸をとーちゃん、かーちゃんって慕い出し
た。俺の作った竹とんぼが好きで、俺と風呂に入るのも好きらしい。小糸の作る大根や白菜入りの味噌汁がほっぺ
たが落ちるほどうめえとか、一緒に畑を手伝うのが……おっと、お前等には蛇足だったな」



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